平成20125

       ソニー・コンピュータエンタテイメント

105-370       中川 正隆

1.      ソニー・コンピュータエンタテイメントの設立

ソニー・コンピュータエンタテイメントは19931116日に設立された。また、設立までには以下の経緯がある。

ソニーと任天堂は19901月に次世代機を共同で開発するという契約を正式に結んだ。この契約は任天堂のゲーム機とソフトのノウハウとソニーのCD-ROM技術の融合により、まったく新しいゲーム機を共同で開発していくものだ。このゲーム機の開発は1991年には「プレイステーション」という商品名までつけられ、後にソニー・コンピュータエンタテイメントから発売される「プレイステーション」の原型としてほとんど完成していた。しかし、1991年夏に任天堂はカードリッジ方式にこだわり、この契約を解消したため、「プレイステーション」案件はソニー内部では凍結された。

しかし、久多良木健は、「プレイステーション」の発売を諦めきれず、当時のソニーの社長である大賀典雄に頼み込み、社内ベンチャー・カーブアウトによりソニー・コンピュータエンタテイメントを設立した。このソニー・コンピュータエンタテイメントで「プレイステーション」の開発を続け、1994123日に発売した。

 

2.      ソニー・コンピュータエンタテイメントの戦略

任天堂はサードパーティに

     ソフトメーカーは単にソフトを開発すればいいのではなく、自分で市場を調査しなければならない

     ソフトメーカーは任天堂にソフトを発注する数量を決め、しかも前金で生産した分は全てソフトメーカーが引き取らねばならず、売れ残りは在庫となってしまう

     広告宣伝も自ら行って、販売しなければならない

というようにサードパーティに負担のかけていたため、中小のソフトメーカーは任天堂との取引は負担が大きすぎた。

しかし、ソニー・コンピュータエンタテイメントは、ソフトメーカーがソニーにロイヤリティを払い、ソニーがソフトを一括して買い取り、販売店に直接に卸すという形をとった。これによって、ソフトメーカーの負担が軽減され、開発に専念でき、任天堂が取りこぼしていた小さな優良ソフトメーカーも取り込むことができた。また、ソニー・コンピュータエンタテイメントもソフトの増産が簡単にできるCD-ROM方式だったこともあり、最初に市場の反応を見て、反応が良ければ一気に増産するという形が取れたため、在庫リスクの問題は解決された。

また、「プレイステーション2」以降は、主要半導体は全て自社生産することによって、部材確保のタイミングやコストをコントロールしやすくし、発売初動から安価な値付けを行うなどの演出を実現してきた。

 

参考文献

溝上幸伸(2008)『任天堂Wiiのすごい発想』ぱる出版

参考URL

Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8