平成20年1月25日
ゲームの著作権裁判
105-370 中川 正隆
1.ゲームの著作権
ゲームの著作権が初めて認められたのは、1982年8月のスペースインベーダー訴訟でした。それ以前は、著作権という考えはなく、ヒット作を真似する当たり前という考え方が主流でした。
東京地裁はこのインベーダー訴訟について、「プログラムはその製作者によって個性的な相違が生じるものであることは明らかであるから、その製作者の独自の学術思想の創作表現であり、著作権上保護される著作物に当たる」としました。この判例によって、ゲームは、学術的思想の創作表現とし、映画や小説などと同じ位置づけになりました。また、85年には「プログラムの著作権」が法律に明記され、テレビゲームなどのコンピュータプログラムの権利が日本で正式に保護される対象となりました。
2.エムブレムサーガ
2001年7月、任天堂はエンターブレインとゲームソフト開発会社のティルナノーグら相手に訴訟を起こしました。対象となったゲームソフトは『ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記』[1]でした。任天堂は、このソフトが同社の『ファイアーエムブレム』シリーズの著作権を侵害するとしました。
この訴訟の発端は1999年、『ファイアーエムブレム』の開発会社を退職した人物がティルノーグ社を設立し、エンターブレインと共同して『エムブレムサーガ』の開発を始めたことです。その後、エンターブレイン発行の雑誌にこの『エムブレムサーガ』が『ファイアーエムブレム』と世界観が繋がっていることを匂わせるような記事が掲載されたことなどから、任天堂は著作権を侵害しているとする警告を何度も行いました。
裁判の結果は、地裁、高裁共に著作権違反には当たらないとしました。また、2005年4月、最高裁は任天堂の上告を不受理しました。
ゲーム業界では、独立したり、移籍したりした開発者が類似のソフトを他の会社でから発売することはよく見られることで、訴訟のあるケースの方が珍しいです。また、開発者も小説家や漫画家と同じようにクリエイターであり、著作権の1部は個人も所属するとすれば、似た作品、登場人物、世界観などが重複する作品が別の会社から発売されるのは問題ない行為と解釈することもできます。
3.中古販売
1996年、カプコン、コナミ、コーエーの3社が専門店に対して中古販売の中止を求めるなど、メーカーと流通の対立が本格化しました。98年にはゲームメーカー会社6社が中古販売会社を訴える大阪訴訟と、中古ゲームを扱っている上昇がエニックスを訴える東京訴訟が提起されました。この2つの裁判は、内容はほぼ同じで著作権法第26条の頒布権が争点になっています。
頒布権とは、映画の著作権者に認められた作品を販売、貸与、譲渡する権利です。ゲームメーカーは過去にパックマン訴訟などでゲームが映画の著作物と見なされた判例から、ゲームにも頒布権が存在し、したがってメーカーの許諾がない中古販売を違法と訴えました。
結果は、大阪地裁ではゲームメーカーが勝訴、東京地裁では販売店が勝訴しました。その後、東京、大阪の両高裁では「中古販売は合法」という判決が出ました。2002年4月の最高裁では、両高裁の判決を支持し、ゲームメーカーの上告を棄却し、中古ソフトの販売は法的に認められました。最高裁は、ゲームソフトは映画の著作物にあたり頒布権は存在するとしましたが、その権利は一度販売されれば消滅するとしました。つまり、書籍や普通の商品では当たり前のことをゲームでも認めました。
参考文献
橘寛基(2006)『最新ゲーム業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本』秀和システム