平成19921

             アタリ・ショック

                           105-370 中川正隆

1.アタリ・ショックとは

 アタリ・ショックとは、アメリカのアタリ社の「アタリ2600」の市場が1982年に前年の30億ドルから1億ドル程度まで落ち込んだ事件を指します。アタリ・ショックは以下の経緯を経て起こりました。

 

1977年、アタリ社から「アタリ2600」が発売される。また、この時は人気がなくほとんど売れなかった。

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1979年、『スペースインベーダー』が「アタリ2600」用カセットとして発売される。それをきっかけに「アタリ2600」は爆発的に売れ、最終的に1400万台売れる。

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アタリ社は、「ゲームソフトの種類が増えるほど、ゲーム機本体も広まる」と考え、マシンの技術仕様を公開してコンピュータの知識のあるものなら誰でも開発できるようにした。

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その結果、情熱も技術も持たない人々も参入するようになり、市場に粗悪なソフトが流れることになる。

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粗悪なソフトは低価格で投げ売りされ、ソフトの低価格化が進む。低価格化が進んだ市場ではソフトメーカーは商売にならなくなり、アメリカでは家庭用ゲーム機市場がほぼゼロの状態になる。

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1982年に、アタリ・ショックが起こる

 

「アタリ2600」………値段は94,800円(本体85,500円、カセット9,300円)。正式名称は、「アタリ2600 ビデオ・コンピュータ・システム」。世界初のカードリッジ差し替え式家庭用ゲーム機。付属のカセットは『コンバット』。

 

 

 

 

 

2.アタリ・ショックが起こった原因

 アタリ・ショックが起こった原因は以下の通りです。

 

     マシンの技術仕様を公開した

前述したように、マシンの技術仕様を公開したことにより、コンピュータの知識がある者なら誰でもソフトを開発できるようになりました。その結果、粗悪なソフトが市場に溢れる結果になり、ソフトの低価格化が進みました。それに伴い、開発費の削減、ゲームの質の低下が進み「アタリ2600」の市場は崩壊しました。

 

     ゲームの開発力

ゲーム機本体の市場に与える影響は、粗悪なソフトの氾濫よりおもしろいソフトの欠如の方がずっと大きいです。しかし、アタリ本体をはじめとして、ソフトメーカーの開発力はかなり低下していました。そのため、新しい需要を生み出すことが出来ませんでした。

 

3.アタリ・ショック後にできた制度

 「アタリ2600」の市場の崩壊は、粗悪なソフトの濫造が業界全体にとって致命的であることを教えました。その結果、ゲームは開発のためのハードルが非常に高く設定されることになり、ライセンス契約という制度が作られました。

 ライセンス契約は、以下の2つのルールがあります。

・ソフトメーカーはライセンス契約を交わすことにより開発用機材の提供をうける

     ハードメーカーが自社のゲーム機で発売されるソフトの品質管理と製造を行う

ソフトメーカーは、開発用機材の提供を受けることによりソフトが開発できるようになります。また、ソフトメーカーは、開発したソフトのチェックを受けなくてはならず、倫理的、品質的な審査をハードメーカーから受けた後に発売が認められます。このライセンス契約によって、粗悪なソフトが出回らないようになっています。

 

 

 

 

参考文献

市川公士(1993)『コンピュータゲーム』日本経済新聞社

桝山寛(2001)『テレビゲーム文化論』講談社

長尾剛(1999)『テレビゲーム風雲録』文藝春秋

橘寛基(2006)『最新ゲーム業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本』

参考URL

TV GAME KAN   http://www2s.biglobe.ne.jp/~isesaki