日本武道館
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本来は東京オリンピックの柔道競技の会場として造られた。オリンピックの終了後は1964年11月1日に利用第一号として全三菱武道大会が行なわれた。その後は本来の役割どおり武道大会の会場、式典会場などとして使用されてきたが、1966年にビートルズが来日公演を行なったのをきっかけとして、だんだんコンサート会場としても使われるようになった。ただし本来の目的とは異なるため、音響的には専門のホールと比べるとよくない。
内部は地上3階、地下2階で最高の高さは地上から42m。1・2・3階の観客席とアリーナ部分に作る仮設席を合わせると最大座席数は15,031席になる。アリーナは板張りで、柔道などの競技場として使用する際には畳を敷き、コンサートや式典の場合はシートを敷いて椅子を設置するようである。設備が整ってなかったことを考えてか、60年代にはアリーナに観客を入れていなかった。【後述のビートルズ来日公演の際も関係者のみがアリーナにいたとのこと】
コンサートホールとしての使用のきっかけとなったのはビートルズだが、実際に初めてに日本武道館でコンサートが行なわれたのは1965年7月13日、レオポルド・ストコフスキーという音楽家【1882~1977。1925年に世界初のオーケストラを電気録音、1931年には世界初のステレオ録音を行なっている。役者としても何本かの映画(ファンタジアなど)に出演している】の指揮による日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会だった。ビートルズの来日公演の際「武道館で軟弱な西洋音楽とはもっての外」という反対意見があったのはわりと有名な話だが、ストコフスキーの公演の際も(こちらが先)同様の意見があったとされる。
1966年にビートルズがコンサートを行なってからは【しかしPA設備が整ってなかったため、アナウンス用のスピーカーから音を流すような状態だったらしい】【『ビートルズのすべて』という警視庁製作の公演警備の記録映画が存在する。内部資料のため非公開。今も残っているのかは不明】、1971,72年にレッドツェッペリン、72年にディープ・パープル【『Live in Japan』というライブアルバムを出している】、78年にチープ・トリック【『Live at Budokan』というライブアルバムを出し、日本武道館の名を世界中に知らしめた。翌年にボブ・ディランが『Bob Dylan at Budokan』を出したこともあるのかもしれないが】など、様々な海外アーティストが日本武道館での来日コンサートを行なっている。ちなみに最多使用海外アーティストはエリック・クラプトンである。
日本人アーティストによる最初の武道館での単独公演は1971年のザ・タイガースの解散コンサート、ソロ歌手では75年の西条秀樹のコンサートが最初である。長渕剛【80年代後半にセンターステージ方式採用でライブ】、爆風スランプ【『大きなたまねぎの下で』】、美空ひばり、椎名へきる【2002年から三年連続で元旦ライブ】など様々なジャンルのアーティストにより使用されており、山口百恵引退コンサート(1980)やZONEの解散コンサート(2005)などにも使われている。なお日本人での最多使用歌手は男性では矢沢永吉(92回)、女性では松田聖子である。
かつての「日本の音楽ライブの頂点」は東京ドームなどの大型球場に奪われた感はあるが、インディーズミュージシャンをはじめとして『武道館ライブ』を目標に活動するものは多い。