平成21年10月23日
中田英寿(20)
104‐417 樋川朋也
試合に出られない中田
中田がイタリア・セリエAでプレーするためには、イタリアサッカー協会の登録選手になる必要がある。ACペルージャはベルマーレ平塚の「移籍承諾書」を得ると同時に、ベルマーレ平塚から日本サッカー協会へ「国際移籍証明書」の発行を要請してもらわなければならない。日本サッカー協会が発行した「国際移籍証明書」が、イタリアサッカー協会に送られ登録が終わった時点で、ペルージャのメンバーとして公式戦に出場することが許される。
中田のセリエAデビューはベルマーレ平塚とペルージャの移籍金の授受について揉めたことで遅れた。
両クラブの間の仲介人となった堀田は、ペルージャのアレッサンドロから移籍金の支払い方法を相談された。
ベルマーレ平塚とペルージャの間では、中田の移籍金330万ドルを分割で支払うことが取り決められていたが、アレッサンドロは堀田に中田の移籍金330万ドルの立て替えを求めた。ペルージャから堀田への支払いは、30万ドルディスカウントした300万ドルで3年間にわたり4回に分けて支払われることになっていた。
堀田へは30万ドルのディスカウントと、立て替えの代価として、中田の肖像権と日本でのペルージャのテレビ放映権を譲渡するとアレッサンドロから言われていた。
しかし、テレビ放映権はセリエAが一括管理するもので、堀田個人に与えられるものではなく、堀田は放映権を売買することはできない。さらに、中田の肖像権のことは中田には知らされておらず、本人や代理人が認めていない非公式なものだった。
ベルマーレ平塚への第1回支払いの期限は8月20日。契約内容を信じた堀田はペルージャから振り込まれるはずの最初の入金を待ち、ベルマーレ平塚に支払う予定でいた。
だが、ペルージャから送られてきた3枚の小切手は、9月30日、99年1月30日、99年4月30日にしか換金できないもので、支払は滞ることになった。
8月20日になっても移籍金の一部が支払われなかったベルマーレ平塚は「移籍承諾書」を発行できず、日本サッカー協会から発行される「国際移籍証明書」も見送りとなった。
こうして、8月23日、コッパ・イタリアでの中田の公式戦デビューは消滅した。
参考書籍、URL
小松成美 (1999) 『中田英寿 鼓動』 幻冬舎
http://www.sobido.jp/spain/modules/top/?id=1 スペイン留学館
http://calcio.main.jp/ セリエA・カルチョ・ナビ