平成21年7月24日
中田英寿(14)
104-417 樋川 朋也
1. ペルージャ訪問
九八年七月三日、ロンドンから北西二百キロにあるバーミンガムへ向かった。バーミンガムにあるアストンビラ本社のオフィスに出向いた中田を待っていたのは、ゼネラルマネージャーと監督だった。自身に関する高い評価と獲得の意志を聞かされた中田はしかし結論を急がなかった。改めて移籍の具体的な条件を話し合うことを約束してロンドンへ戻った。
翌日、ディビジョン1のクリスタルパレスを訪れる予定になっていたが、取り止めた。経済的に苦境にあったからだ。当分の間、プレミアリーグへ昇格しプレーする意志がなく、移籍金を用意できないだろうと聞かされたため、断ることを前提に時間を割いてもらうことが無意味に思えたからであった。クラブを絞り込むために早い段階で選択していきたい、というのも本音だった。
七月五日、ロンドンからローマへ飛んだ。ローマの空港ではペルージャのゼネラルマネージャーを筆頭に、八名ものスタッフが出迎えに来ていた。ペルージャの用意したホテルへ着いた中田たちに広報マネージャーがスケジュールを告げた。昼はペルージャの役員と昼食をとり、夜はオーナーのガウッチ家の所有するアルファトーレ城での晩餐会。綿密に組まれたスケジュールと、完全に相手のペースで事が進んでいくことに次原とゴードンは警戒し始めていた。
昼食会にはペルージャの役員であるアレッサンドロ・ガウッチ、ペルージャ側の代理人である堀田正人、監督のイラーリオ・カスタニェールらが参加した。堀田は、スペインを拠点に活動するFIFA公認ライセンスを持つエージェントで、これまで日本にも選手を送り込んだ実績を持っている。九七年からペルージャの依頼を受け、日本で優秀な選手を探していた。ワールドカップ・アジア地区最終予選を見て中田をペルージャに推薦した。
中田が席に着くとアレッサンドロからプレゼントが手渡された。それはペルージャのユニフォームだった。背中にはすでに「NAKATA」と名前まで記され、背番号は日本代表と同じ「8」。他にもペルージャの特産品として有名な銀製品を中田以外のスタッフにも贈るのを見て、中田は帰るなと言われているように思った。
さらに、監督のカスタニェールとの話に移ったときにはまず現在のチームでどのような役割を与えられているか聞かれ、自身の目指すサッカーのためのプランを答えた。その後、監督は移籍で獲得しようと考えている選手の名前を挙げ、仮想ペルージャの戦術を示し、そこに中田の希望を完全に反映させることを告げた。
ペルージャは中田に対して、強い獲得の意志を表明していた。
参考書籍
小松成美 (1999) 『中田英寿 鼓動』 幻冬舎