平成21年7月17日
中田英寿(13)
104-417 樋川 朋也
4.フランス・ワールドカップ後(続き)
七月一日、ロンドンで中田を交えたミーティングが行われた。
ミーティングの最中に新しい情報が入った。それは、中田には莫大な移籍金が必要だとふれ回っている人物がいる、というものだった。その額は七億にもなるといわれていた。実際、中田の移籍金は七億になどなるはずがなかった。明らかに中田の移籍への妨害工作だった。正確な情報を伝え、怪情報を消していくしかない。これがゴードンの対応策だった。
この時期、中田の代理人を名乗る者が何人も現れて、勝手な移籍話が進められていた。次原とゴードンは、怪しい人物には用心することを申し合わせた。
そして、本題である中田の移籍先へと話が移った。ゴードンはクラブを決める指針として、名前が挙がっている十のクラブからの移籍金および契約金の仮提示があったことを告げ、最も大事なものとして中田本人の意見を求めた。中田は、重要とするものを三つ挙げた。
l 監督
l 移籍先で試合に出られる保証
l 生活環境
特に、生活環境を中田は重視した。そして、生活や食事の面からイタリアが良いと言った。
ゴードンは監督やチームの戦力、既存の選手や移籍してくる選手のリスト、クラブのマネージメントなどを検討してピックアップしたクラブと、中田の希望をすり合わせてクラブを絞り込んだ。
まずゴードンが勧めてきたのはプレミアリーグのアストンビラだった。監督のジョージ・グレゴリーは中田の力を発揮させることができる人物だといった。そして中田の希望するイタリアのクラブに関して検討が始まった。
その結果、ワールドカップ前からアプローチを続けて来たペルージャとミーティングの数日前から問い合わせが来たボローニャをはじめ、幾つかのクラブを訪れ、交渉のシミュレーションをすることにした。ユベントスとサンプドリアはレンタルされる可能性や、チーム内で競合する選手を考えるとリスクがあるので時間をかけて考えることになった。
すぐにスケジュールを調整した。三日にバーミンガムのアストンビラを訪問。四日、ロンドンのクリスタルパレス。五日にイタリアのローマでペルージャのスタッフに会い、六日にボローニャへ、七日にはスコットランドのセルティックのスタッフに会うこととなった。
参考書籍
小松成美 (1999) 『中田英寿 鼓動』 幻冬舎