平成21年7月3日
中田英寿(12)
104-417 樋川 朋也
3.フランス・ワールドカップ後(続き)
中田が帰国の途についた翌日の六月二十九日、ゴードンと次原は、ベルマーレ平塚の上田栄治とコンコルド広場近くのホテルのロビーで会った。
ベルマーレ平塚でチーム統括部長代理を務める上田は、中田の移籍に関してベルマーレ平塚側の窓口になる人物だった。
上田は常々、次原へのクラブの気持ちを代弁していた。中田自身が海外のクラブとの移籍交渉を始めるときには、クラブはそれを受け入れる用意がある、と。
その時が迫っていた。クラブ側としても交渉に対応するため、上田は移籍に関する詳しい状況を聞いておかねばならなかった。
次原は上田に中田の代理人となったゴードンを紹介した。ゴードンは、FIFAが発行する代理人証明書を見せ、自己紹介を始めた。
ゴードンは上田に、エージェントとしての哲学やワールドカップでの日本代表のサッカーについて話した後、中田の移籍について名乗りをあげ、検討したいと申し出たクラブのリストを読み上げた。
l アストン・ビラ(プレミアリーグ)
l ニューキャッスル(プレミアリーグ)
l クリスタルパレス(プレミアリーグディビジョン1)
l サンダーランド(プレミアリーグディビジョン1)
l セルティック(スコットランド)
l パリ・サンジェルマン(フランス・リーグ)
l マルセイユ(フランス・リーグ)
l ユベントス(セリエA)
l サンプドリア(セリエA)
l ペルージャ(セリエA)
この他にもプレミアリーグのアーセナルが名乗りを上げていたが、ゴードンはリストから外した。アーセナルは中田を獲得した後、提携しているフランスリーグのクラブに12ヶ月レンタルする可能性があるといってきたためだ。中田の移籍をクラブ間の算段のために複雑にしたくない。彼の実力があればクラブと対等に話し合い移籍を進めていくことができると考えていた。
二十一歳の若さでこれらのクラブから必要とされるのはヨーロッパの選手でも非常に稀なことだった。
参考書籍
小松成美 (1999) 『中田英寿 鼓動』 幻冬舎