平成21619

中田英寿(10

104417 樋川 朋也

1. フランス・ワールドカップ後

一九九八年六月二八日、次原はゴードンの所属するマネージメント会社のオフィスへ出掛けた。そこで中田の移籍に関するミーティングが行われた。

話し合われたのは、今後のビジネスを見据えて「NAKATA」という商標登録を取得しようとしていた大手商社の目論見を、すんでのところで阻止するための申請についてだった。

中田が海外に移籍するために、次原は万全の準備を整えたかった。法律に照らし合わせた作業には膨大な時間が必要だった。ミーティングの出席者は、皆、中田がヨーロッパのクラブチームでプレーするために必要なあらゆる状況を想定しなければならなかった。そのためには、日本と法律の違うヨーロッパの事情に対応するべく、商法やコピーライトに詳しい弁護士の力も必要になった。すでに、中田を支えるスタッフはサッカーを取り巻く者ばかりではなくなっていた。

これまで、プロスポーツ選手のマネージメントを行ってきた次原でも、ヨーロッパの巨大なサッカービジネスの苛烈さには驚くばかりだった。彼女がこれまで手掛けてきたビジネスに比べて、とにかく複雑で、状況を見定めるのがとても難しかった。

中田のサッカーの才能を認め、レベルの高いサッカーを経験してほしいと後押ししてくれるエージェントの中には、実はサッカー選手を「金を産む鶏」としか見ないような者も少なくなかった。実際、選手を食い物にしているエージェントこそ、仕事ができるという証明でもあった。そうしたエージェントたちの嘘は、話を詰めていくうちに真実になることもあれば、その逆もあった。とにかく、誰もが、真実だといって、次原に話をする。しかし、虚飾が見え隠れしない話はまったくないと言ってもよかった。

ヨーロッパのサッカービジネスに初めて携わる彼女には、情報の正誤を突き留め、それを語る人々の誠意と悪意を見極めることが難しかった。

海千山千のエージェントに値踏みされ、金になると評価された日本人は、ヨーロッパのサッカー界でも異色だった。これまでとは違う「商品」に、エージェントたちは色めき、新しいビジネスチャンスの到来とばかりに動き出したのだ。

厄介なことに、既存のサッカー界において、サッカー選手と契約し、自分の手腕において金を儲けることは決して「悪」ではなかった。サッカー選手もエージェントも大金を手にしたほうが勝ちなのだと豪語する男たちが闊歩している世界でもあった。

ゴードンのように、人買いの如く選手を漁るエージェントをヨーロッパのサッカー界から排斥したい、サッカー選手を金で縛るような契約を根絶したい、と考えているエージェントは、ほんの一握りしかいなかった。

参考書籍

小松成美 (1999) 『中田英寿 鼓動』 幻冬舎