平成21年6月5日
中田英寿(8)
104-417 樋川 朋也
1. 前園真聖の移籍の失敗
次原は、中田にヨーロッパへ移籍する機会が巡ってきたら、絶対に成功させなければならないと思っていた。
それには、理由があった。サニーサイドアップ所属のもう一人のサッカー選手、前園の移籍を実現できなかった九六年の記憶が彼女を苦しめていたからだ。
アトランタ・オリンピックを目前に控えたある月曜日、次原の元にスペイン大使館から一本の電話が入った。電話を寄越したスペイン人は、大使館の職員で、次原も前園も、以前にあるパーティで会っていた。前園は、その職員に向かって「将来は、スペインのリーグでサッカーをしたい」と夢を語ったのだ。
大使館職員は、セビリアというチームが、オリンピックの予選を観て、前園に興味を持っている。ついては、早急に来日して、前園の練習やプレーを観たいと言っているので段取りをつけてほしい。横浜フリューゲルスは練習が休みで、オフィスに誰もいないらしい。と言ってきた。
前園は、セビリアがマラドーナの在籍していたクラブだということを次原に教えてくれた。
次原は、横浜フリューゲルスに連絡を入れ、セビリアの意向を伝えた。チームは、セビリアが突如来日することに露骨な不快感を示した。チームは、前園の移籍に何の興味も示さなかった。むしろ、断じて断りたい話だったに違いない。日本にとっても横浜フリューゲルスにとっても、若きサッカーの旗手である前園は、掛けがえない選手だった。
偶然に、スペイン大使館からの電話を受けたことで、前園とセビリアの間に入ることになった次原は、とりあえずセビリアへ電話をし、来日の際に先方と前園を引き合わせることになった。
極秘で行われるはずの視察だったが、スペインから日本へ出発するセビリアのゼネラルマネージャーが、地元の空港で「これから二十三歳の日本人ミッドフィルダーを獲得に行く」と言ってしまったことで、日本のスポーツ新聞は、前園のセビリア移籍を派手に書き立てた。
スペインから日本へ来たセビリアのゼネラルマネージャーとエージェントの対応をせざるを得なくなっていた次原は、前園を放出することなど毛頭考えていない横浜フリューゲルスと、スペインへ行きたいと願う前園との間にも立つことになってしまった。
参考書籍
小松成美 (1999) 『中田英寿 鼓動』 幻冬舎