平成2158

中田英寿(4)

104-417 樋川 朋也

1.      フランス・ワールドカップ・クロアチア戦の最中に

暑さで体力の消耗の激しい選手たちに、氷と冷水が手渡されているとき、観客席を離れてスタジアムの通路に出た次原は、手にしたミネラルウォーターのボトルに口をつけることもできず電話の対応に追われていた。

次原は、ゲーム中でも鳴り響く携帯電話をそら恐ろしい気持ちで握りしめていた。この数日、次原の電話は二十四時間休むことがなかった。電話の大半は、大半がマスコミでスポーツ新聞の記者も多かった。日本でも中田の移籍が取り沙汰されていたが、そのクラブがどこになるのか憶測ばかりが飛び交っていた。中田に関する根も葉もない噂が紙面に掲載されるたび、次原の気分は重くなった。顔見知りの記者は、電話で移籍の事実を確認しようと一日に何度も電話をかけてきたが、実際にオファーを受ける段階にあっては言葉を濁すしかなかった。

さらに、次原を悩ませたのは、中田の移籍に関するエージェントやクラブの関係者と名乗る者たちからの電話だった。受話器の声はほとんどが訛りの強い英語を話した。エージェントたちは次原に愛想を振りまき、ときには高圧的な態度を取ることもあった。彼らは一様にヨーロッパの大きなクラブチームの名前を騙り、中田の移籍に関して交渉したいと言った。

「私は☓☓☓クラブの代理人をしていますが、すぐにも中田選手と移籍の交渉を始めたいのです。クラブはどうしても中田選手が欲しいと言っています。私は☓☓☓から選手の移籍に関して全権を委ねられています。ですので☓☓☓との交渉は私がすべて代行します。他のエージェントとは一切、関わりを持たないでください。いいですね。」

驚くべきことは、こうした人間たちが二重に代理人を演じていることだった。次原にクラブチームのエージェントであると名乗った男たちは、逆にクラブへ、「私は中田の正式な代理人だ」と告げていた。彼らは「中田と交渉するなら、私を通さない話はすべて無効になる」と大げさな態度を取っていた。あざといエージェントたちはすぐにバレる嘘を軽々とつき、自分の利益を収めるため駆けずり回った。

 

 

 

 

 

 

参考書籍

小松成美 (1999) 『中田英寿 鼓動』 幻冬舎