平成20年5月9日
陸上競技に見る代理人問題2
104-417 樋川朋也
日本陸上競技連盟の対応
2001年11月に競技者代理人に関する規定が制定されたが、それまで選手代理人を認めていなかったのは日本を除いてはキューバと北朝鮮だけという状態だった。このあまりにも歪んだ構造は、日本の競技現場に大きな不条理をもたらし、選手をスポイルした。日本陸連が認めないのはあくまでも日本選手の代理人であり、日本で活躍する外国選手に関しては彼らの代理人と出場交渉し、ほぼ向こうの要求を受け入れたのである。その典型が日本で人気の高いマラソンであり、外国選手に破格の出場料が支払われるにもかかわらず、パフォーマンス的に格上の日本選手に全く支払われないという矛盾が生じてきた。場合によっては、レベルダウンしてしまった日本選手に対してすら裏金が渡っていたという話まであったという。
その背景
スポーツイベントのほとんどが、新聞社事業部と繋がりを持っているのは日本のスポーツ界の特徴といっていい。バブル期における過熱した新聞社=テレビ局の視聴率争いの中で、新聞事業部にとっては、とりわけ人気の高かったマラソン選手の囲い込みは大きな宿題だった。瀬古利彦〜中山竹通の走りは、40%は当たり前といった高視聴率を叩き出したドル箱だったからである。
代理人ビジネスは彼我のギャップがなければ成り立たないが、日本のスポーツ界ではより複雑な構造になっている。文部省を先頭とした管理する側が彼我の溝を埋めずに選手を封鎖し、世界と自由競争させないことが、結果的にスポーツ現場の利になるという逆理が成立していた。
参考文献
ロン・サイモン(1998)『スポーツ代理人』ベースボール・マガジン社