平成20年5月2日
陸上競技に見る代理人問題1
104-417 樋川朋也
商業化する陸上競技
1980年代は世界に新たなレジャー時代がおとずれ、衛星を使ったテレビの進化と並行してスポーツのプロ化が進んだ時期である。モスクワ-ロサンゼルスの両オリンピックの政治ボイコットを口実に、各競技団体による国際オリンピック委員会からの独立指向が活性化した。欧州を中心に陸上大会が活気を帯び、ディレクターによる選手の獲得合戦が激化していった。カール・ルイスのデビューは、1983年にヘルシンキで行われた第1回の世界陸上選手権だったし、その後、賞金大会である国際陸連モービル・グランプリなど世界選手権を取り巻くように様々な大会が誕生する。80年代後半の冷戦構造の崩壊が、そうした市場の活性化に拍車をかけることになる。
代理人問題の発生
市場が熱くなれば、需給関係から選手の価値は高まる。その需給バランスを取り持つ人間が力を持ち、すぐにスポーツ代理人は欠かせない存在にまでのし上がっていった。すなわち、大会ディレクターが有力選手を確保したいがために、出場枠を選手代理人に与えるという主客逆転の現象が起きてきた。アマチュアリズムの権化である陸上界が、代理人なしに競技会が開催できない状況に陥り、1991年に東京で行われた世界陸上選手権の国際陸上競技連盟理事会では代理人を認める決議を行うことになる。国によって事情が異なるとの判断から、公認の是非を各国陸連の判断に任せるという条件を付けたのは、当時、圧倒的な経済力を誇示していた日本の硬直したスポーツ実情への思いやりだった。
参考文献
ロン・サイモン(1998)『スポーツ代理人』ベースボール・マガジン社