平成18年7月21日

皇室典範に関する有識者会議についてA

104−275 鈴木幹子

 

二つの皇室典範〜旧皇室典範について@〜

 

皇室典範とは?

1889(明治22)年に制定され、皇位継承、摂政設置、皇室会議、天皇・皇族の身分など、天皇および皇族の総称である皇室に関する事項を規定した法律。大日本帝国憲法と同時に制定され、憲法とともに、戦前日本の最高の成文法(せいぶんほう=文章に書き表された法。制定法・成文律ともいう)を意味。

 

戦前日本の成文憲法は形式上、大日本帝国憲法と皇室典範の2つで構成された(皇室に関する規定はすべて皇室典範で規定されていた)

大日本帝国憲法の冒頭には皇室典範と大日本国憲法の制定に就いての告文(こうもん=天子が臣下に告げる文がしたためられており、その中では、皇室典範は憲法より上位に位置づけられている。

⇒そのため、帝国議会は皇室に関する事項については、まったく関与することができない仕組みであった(皇室大権、皇室自律権)。

 

旧典範での皇位継承について
第一条で男系男子の継承を規定しており、更に皇位継承の順位も細かく規定⇒精神もしくは身体に不治の重患がある場合は順位変更可能とされているが、女帝については一切認めていない。

 

旧典範は1875年(明治8年)に元老院が設けられ立憲作業開始

⇒この時、日本古代からの資料を集め、さらに海外の王室の状況や皇位継承の在り方についても研究が行われ、草案作りの参考にされた。実際1880年の第三次草案では「もし止むを得ざるときは、女統入り嗣ぐことを得」という文言が盛り込まれていた。

⇒当時の海外王室の事情を見れば、オランダは1815年の憲法公布により女帝を容認しており、女王で有名なイギリスは既に16世紀以降ずっと女性の皇位継承が認められている。こうした背景をもとに挿入された文言と思われる。

 

つづく。

 

参考URL

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kyukousityutennpann.htm

http://www.kokubou.com/document_room/rance/gendai/kousitutenpan.htm