平成18年6月16日
軽視される天皇
104−275 鈴木幹子
1.公民教科書における天皇の扱い
昭和二十年代:天皇について見出しをつけて扱わず、しかも三〜四行程度
昭和三十年度以降:天皇の地位を上昇させる(※昭和三十七年度以降になると天皇について小見出し扱いを行い、しかも天皇の写真を掲載するように)
昭和五十三年度以降:多数の教科書が天皇をサブ小見出し扱い(※天皇の写真は無し)
昭和五十三年度以降:「象徴天皇の地位」だけでなく「政治権力」「国家」、さらには「民主主義」でさえその扱いが小さくなる。重視されるのは「人権」「平等権」「フランス革命」であり、過去・現在の日本については批判的な記述だけを行うように。
2.歴史教科書における天皇軽視の事実
日本の歴史は天皇・皇室の存在を抜きに語ることはできないはずだが、戦後はこれを意図的に無視軽視。
Ex.昭和天皇について
教科書に昭和天皇が登場するのは「人間宣言」の項目のみ
⇒それに対し扶桑社版は人物コラムで昭和天皇を重視
「終戦直後、天皇と初めて会見したマッカーサーは、天皇が命乞いをするためにやって来たと思った。ところが、天皇の口から語られた言葉は、『私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした』というものだった。
マッカーサーは、『私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までもゆり動かした』(『マッカーサー回想記』)と書いている。
敗戦後、天皇は日本各地を地方巡幸され、復興にはげむ人々と親しく言葉をかわし、はげまされた。激動する昭和という時代を、一貫して国民とともに歩まれた生涯だった」
参考URL:http://www.seisaku-center.net/sentakuinfo/sentaku-digest/digest-1710.html#ダイジェスト(日本政策研究センター)