平成18年5月12日

社会システムとしての天皇

104−275 鈴木幹子

 

なぜ天皇制は現在まで残ってきたのか

 

天皇制:宗教的意味合いと同時に現代社会において重要な社会システムのひとつ

⇒大きな意味で日本の秩序を守る

 

GHQでさえ手をつけることを憚った天皇制

京都御所の佇まい⇒徳川家の居城の江戸城とは異なり、堀も石垣もない。あるのは幅一尺ほどの疎水と、優しげな塀。侵入は容易である。しかし、若干の例外を除いて日本人は御所に攻め入ろうとした事は無い

安土城の清涼殿⇒比叡山を焼き討ちにして、僧3000人を殺した織田信長でさえ安土城を造った際、そこに清涼殿を作っていたことが発掘調査で明らかに

 

御所の佇まいをみても、天皇家が国民によって守られてきたことは明らか

権力とは無縁の権威の力こそが国家統合に必要⇒愛国心の必要性

 

参考URLhttp://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/profile/message/cat23/

 

『皇室の本義』中西輝政・福田和也(PHP研究所/2005年)著者について

中西 輝政(なかにし てるまさ、1947 - ):京都大学大学院人間環境研究科教授

親米保守の代表的論客の一人。グローバル化が進展する今日にあっても、国家という枠組みは依然健在であるとの考えから、「押し返す保守による日本の再生」を主張する。日本を海洋国家と捉え、英米の国家運営を模範とすることを説く。専門は、国際政治学イギリス史、文明論。

略歴:大阪府生まれ。大阪府立北野高等学校、京都大学法学部、ケンブリッジ大学歴史学部で学ぶ。京都大学法学部助手、三重大学人文学部助教授、静岡県立大学国際関係学部教授を経て、現職。文明の観点から現代の国際関係をダイナミックに分析。また、保守論客として戦後民主主義批判も多く論じている。

無量寿寺との関係:『関西に蠢くまだ懲りない面々』(グループK21編)によると、中西は90年代に高額のお布施などで問題を起こしていた無量寿寺という新興宗教の理事会相談役に就任し、広告塔としての役割を担っていた。

 

福田 和也(ふくだ かずや、1960昭和35年)10月9 - )は、東京都北区田端出身の文芸評論家である。実家の福田麺機は製麺機メーカーとして国内トップシェアを誇る。

1989ナチス・ドイツ支配下のフランスの文学者を論じた『奇妙な廃墟 フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール』でデビューする。

現在、母校でもある慶應義塾大学環境情報学部の教授をしている。

2003、柳、坪内祐三リリー・フランキーとの共同編集で、文芸誌『en-taxi』を創刊する。

概要:江藤淳に師事した。但し在学中は教えをこうむっておらずプライヴェートで師事した。

現代日本を代表する、保守系の言論人である。専門の文学以外にも、歴史、政治、社会、人生論、実用書と執筆するテーマは幅広い。執筆量は極めて多く、迅速。(ただし入稿は締切ギリギリで編集者を待たせることが多いという)

テレビという媒体を時間の浪費でしかないとし、存在価値を認めていない。自分から観ることは皆無(たまに家族が観るのをチラ見する程度)で、出演もしない(正確には、数度フジテレビの番組に出演している)

大学教授ではあるが、学会発表は一度もなく、自身も学者ではなく文筆家としての自覚を強く持っている。

文藝春秋』『週刊新潮』『産経新聞』『朝日新聞』『SPA!』『ダ・ヴィンチ』と幅広く活躍している。

一青窈は福田和也ゼミ出身。

通称「パンク右翼」。『世紀末新マンザイ パンク右翼VSサヨク青二才』において、島田雅彦が命名。

だが中川八洋の分析によれば「スーパー極左」である。

コメンテーターとして、ニッポン放送のさまざまな番組に出演。共演のある森永卓郎は意見がかみ合わない福田を「天敵」と呼ぶが、福田はほとんど無視している。しかしながらこの2人の顔はよく似ているという評判である。

学歴

お茶の水女子大学付属小学校卒業。

お茶の水女子大学付属中学校卒業 。

慶應義塾高等学校卒業。

慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。

大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了

職歴

1985-1991 父の会社・株式会社福田麺機製作所社員。営業を担当。

慶大非常勤講師

東洋女子短期大学非常勤講師。

1996 慶大環境情報学部助教授

2003年 同教授