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岡崎正尚
・独裁体制が殺害行為に与える影響2
2・被害者の非人間化
殺人を平気で行なえるようになるためには、自己正当化が不可欠である。相手を人間として見ない、という事は、正当化のための重要な要素だった。極悪非道な悪鬼、と、相手を規定すれば、もはや何をしても許される。
例1
スターリン体制下で粛清を支えた検事総長ヴィシンスキーは、その欺瞞に満ちた粛清裁判で、被告たちを以下のように面罵した。
「狂犬共に火を!人民大衆に野獣のような牙と猛禽のような歯を隠す、この一味に死を!有毒な涎を撒き散らして、マルクス・レーニン主義の偉大な思想をけがす、禿鷹のようなトロツキーよ、消え失せろ!あの嘘つき連中、あのペテン師ども、情けないほど無能な者たち、吼えまわる犬ども、象にまとわりつく犬、彼等を武装解除せよ!(以下略)」
レーニンも、赤色テロル推奨に際し、ブルジョワの事を、シラミ、クラーク(富農)の事を、吸血鬼、と呼んでいる。
プラウダは、大テロルの時期にはソヴィエトを脅かす「トロツキスト」たちを日夜倦むことなく罵倒し続けた。一般庶民も、それを読み、悪魔のごとき「トロツキスト」への怒りをたぎらせた。しかし、怒りをたぎらせていた庶民も、死刑執行人たちも、いずれ消え去る運命にあった。1929年のカーメネフ処刑に際し、非暴力的な部類に属する党幹部、ブハーリンは、「あの犬共が射殺されてとても嬉しいよ!」と述べた。しかし、彼は、1938年の大テロルの際、トロツキストとされ、死刑となった。スターリンと組んで初代チェーカー長官ジェルジンスキー、二代目長官メンジンスキーを毒殺したと疑われ、30年代前半の粛清を担当したNKVD(チェ−カーから改称)長官ヤーゴダは、大テロルの歯車にひき潰され、大テロルを担当した後任のエジョフは、大テロルの期間―――1年数ヶ月程度―――スターリンの寵愛を得た後、スターリンと、自身の後継者、ベリヤによって身柄を拘束され、40年にひっそりとその生涯を閉じた。
例2
中国では、文化大革命の際、弾劾の対象とされた人は、長時間の、時には肉体的暴力を伴った自己批判にさらされた。当然、死者、自殺者が相次いだ。毛沢東と敵対していると思われる人々に対し、紅衛兵は、牛鬼、蛇神、妖怪変化などと名づけ、非人間化の限りを尽くした。階級敵は、プラカードをかけられ、帽子を被せられ、時には滑稽な上着を着せられ、グロテスクな姿勢をとらされ、顔には墨を塗りたくられ、四つんばいになって犬のようにほえる事を強要された。もっとも、こうした自体は、共産党体制下の中国では、珍しい事ではない。農地改革のときには、元地主は、牛のように縄をつけられ、四つんばいになって畑を耕さされた事もあった。
例3
1994年のルワンダにおけるフツ族によるツチ族虐殺に際し、フツ族支配層は、数年間にわたって、心理的防壁を取り去るための、念入りなキャンペーンを繰り広げた。80年代から、民族主義者たちは会合を開き、ツチ族への敵意を高めていた。1994年4月7日以来、ラジオは「ゴキブリどもを叩き潰せ」とがなり続けていた。
その甲斐あってか、多数の、一般人のフツ族が殺人に加担した。自分たちが日ごろ、一緒にビールを飲み、踊り、賛美歌を歌っていた隣人達を、マチェーテで惨殺した。7歳の子供が殺害に加わっている事もあった。フツ族の女性は、略奪をしてまわった。貧農から、司祭、医師、などといった知的階級の人間までが、殺害に関与した。殺害方法は、足の腱を切ってじわじわと苦しませて死なせる、というものだった。また、強姦、略奪も頻繁に行われた。殺害後、フツ族の殺人者達は、ツチ族の被害者達の鼻を切り取り、足を切り落とす事が多かった。「仕事」を終えた後、そこここで宴会が催された。
4月20日の虐殺後、ラジオは、以下のように報道した。
「男性の皆さん、本当によくがんばってくれました。あなた方の仕事ぶりを拝見しました。若者たちへのいい手本になりますね。殺すべき人々を見事に殺してくれたんですから。でも頭に銃弾を撃ち込むような殺し方ではいけません。細かく切り刻んで殺さなければいけませんよ」
1994年4月20日から4ヶ月で、約100万人のツチ族を殺害された。
<参考文献>
ルワンダ大虐殺
共産主義黒書ロシア編
共産主義黒書アジア編