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岡崎正尚
・広域指定されなかった広域事件
広域指定制度制定後、広域指定されなかった広域事件を以下に書き記す。なお、犯人の年齢は逮捕時のものである。
・少年ライフル魔事件
昭和49年7月29日、神奈川県座間市で、景観二名が銃を持った少年に殺傷された。少年は、警官から制服を奪い、警官に扮し、通行人を脅して車を運転させて逃走した。何回も車を乗り換えた。そして、東京都渋谷の銃砲店に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた。150発の銃弾を発射し、18人を負傷させた少年は、一審で死刑を求刑され、無期懲役の判決を受けたが、検察側控訴により、東京高裁で死刑判決を受けた。昭和47年7月21日、死刑は執行された。罪を悔いていたという。
この事件は、新聞でかなり大きく報道された。
・東京埼玉連続強盗殺人事件
昭和41年9月4日、東京都田無で、強盗放火殺人が起こった。タクシー運転手の男性が絞殺され、金を奪われ、布団蒸しにされ、自宅に火をつけられたのだ。9月16日、埼玉県春日部市で、新たな事件が起こった。一家4人が強盗に襲われ、幼い長男を除いて殺害されたのだ。3人は、縛られ、絞め殺されていた。9月22日、男が110番し、自分は一家3人殺しの犯人である、と自首をした。男は中島一夫(33歳)といい、両親と折り合いが悪く、盗みを働き、3つの少年院にも入ったことがあった。中島は、犯行様態から、東京の事件の関与についても疑われた。追及されると、中島は、すぐに犯行を自白した。中島は運転手を殺害したあと、ビールを飲み風呂に入って、運転手宅に火をつけ、ゆうゆうと逃走したのだった。中島は、控訴せず、死刑は確定した。死刑執行前は、善人になっていたと言う。事件は、全国紙ではさほど大きく扱われていなかった。昭和48年10月12日に、死刑は執行された。
・連合赤軍事件
説明不要と思われる。東京で一人、千葉で一人、群馬で12人、長野で3人が殺害された。大々的に報道された。にもかかわらず、広域指定はされていない。
・近畿連続強盗殺人事件
昭和42年4月24日、愛知県の旅館で売春婦が絞殺され、財布が奪われているのが発見された。同年8月5日、大阪府で、男娼が刺殺され、金を奪われた。昭和47年4月10日、大阪府で売春婦が絞殺され、金を奪われた。昭和48年3月20日、売春婦が絞殺され、金品を奪われた。4件の強盗殺人の犯人として、渡辺清(24歳)が昭和48年に逮捕された。一件目と二件目は19歳の時の犯行であり、また、殺害を当初より計画していた事件ではなかった。渡辺清は、昭和50年8月29日、大阪地裁で無期懲役の判決を受けた。しかし、昭和53年5月30日、大阪高裁で死刑判決を受ける。そして、昭和63年6月2日、死刑が確定した。しかし、この事件は、ややきな臭いところがあった。というのも、最高裁調査官は、渡辺の審理の公正さに疑問を抱き、再審理を主張していたのだ。渡辺は、上告審から、第2、第3の犯行に関して否認し始めていた。一審の裁判官も、渡辺が全てをやったのか疑いを抱いていたらしい。渡辺は、未だに死刑が執行されていない。
この事件は、殆ど全く注目されなかった。
・殺し屋連続殺人事件
リース会社社長関口正安(33歳)は、従弟のF・Mほか1名に殺人を100万円で依頼し、昭和45年2月13日、浮気相手の夫を、東京都内の路上に駐車した車内で刺殺させた。さらに、商売相手の弾性に300万円を貸したのにも関わらず、同人が返済しないのに腹を立て、F・Mに殺人を依頼し、F・M、I・Hほか二名と共謀の上、昭和46年10月27日、神奈川県内の堆肥貯留場において商売相手にリンチを加え、生き埋めにして殺害した。この事件では、殺人には関口自身も立ち会った。そして、昭和48年4月15日、取引相手の男性が裏切ったと思い、関口はI・Hに殺人を依頼した。I・Hは、知人と共に、茨城県にある取引相手の男性の家に住み込み、その家で男性夫婦を殺害した。I・Hは、男性の妻を死姦し、二人の死体を埋めた。
この事件に関しては、やや奇妙な結末があった。関口は4件の殺人で起訴され、I・Hは三件の殺人、F・Mは二件の殺人で起訴された。他のメンバーも、それぞれの関与した殺人に関して起訴された。関口、I・H、F・Mは死刑を求刑され、一審では、東京地裁で昭和52年3月31日に死刑判決を受けた。しかし、関口は、夫婦殺害の内、妻の殺害に関しては、無罪を言い渡された。I・Hの暴走と判断されたらしい。が、I・H、F・Mには、東京高裁で無期懲役が言い渡された。そして、関口は平成1年10月13日、死刑が確定した。関口自身は、1件を除けば法的責任は無い、と主張している。この事件は、新聞で大々的に報道された。関口はいまだ死刑執行されていない。
・広域連続強盗殺傷事件
昭和50年4月3日零時ごろ、兵庫県の会社経営社宅に男が押し入り、一家4名をハンマーで滅多打ちにした。三女(4歳)は即死、長女(10歳)は翌日死亡、少女たちの両親は、脳挫傷、頭部挫傷等の重傷を負った。男は、8000円を奪って逃亡した。犯人はなかなか特定されなかった。昭和52年8月15日、兵庫県内の事務所に男が押し入った。宿直員二名から金を奪い、縛り上げたが、顔を見られたと思い、両名を殺害しようと、持っていたナイフで両名の胸部、頚部、背部を3〜5回刺した。二人は死んだふりをし、男は二人が死亡したと思い、逃走した。二人は、全治3ヶ月ないし20日の傷害を負った。
同月18日午後1時過ぎ、三重県の民家で70歳の女性が殺害され、金品を奪われた。
三重県の事件の犯人として、川中鉄男(33歳)が逮捕された。川中は、前記の2事件についても自白し、他にも、窃盗、強盗、強盗致傷、強盗予備などの犯罪を行なっていた。犯行地は、合計10都府県に及んだ。川中は、両親の居ない家庭で育ち、極貧生活を送った。兄に育てられた。幼少時から生きるために盗みを繰り返していた。
川中は、神戸地裁において、昭和55年9月13日に、懲役10年、死刑、無期懲役の判決を受けた。確定判決を二度挟んでいたからである。59年9月13日、上告が棄却され、死刑が確定した。そして、93年3月26日、大阪拘置所で死刑が執行された。
この事件は、地元紙を除けば、殆ど取り上げられなかった。
・連続保険金殺人事件
長谷川敏彦、井田正道の二名は、共謀の上、1979年11月19日、愛知県で保険金目的で店の客を溺死させた。そして、1983年1月24日、長谷川、井田は他一名と共謀の上、京都府で保険金目的で従業員を殺害した。さらに、二人は、同年12月、金銭に窮したそもそもの原因だった悪徳金融業者を愛知県で殺害した。長谷川は、93年9月21日、最高裁で死刑が確定した。井田は、上告する事無く、既に死刑が確定していた。この事件は、解決時から、新聞で割と大きく報道された。なお、この事件は、被害者遺族の男性の一人が、死刑に反対したことからも、大きな注目を集めた。しかし、井田は98年11月19日、長谷川は2001年12月27日に、それぞれ死刑が執行された。なお、長谷川は被害者遺族と交流があったため、死刑の執行が遅れ、井田は外部と連絡を絶っていたため早く死刑執行されたというのが、大方の見方である。
・関東連続殺人事件
藤島光雄(27歳)の犯罪は、2件の殺人だった。藤島は、事件を起こし執行猶予中だったが、内妻に会うために内妻の祖母の家に張り込んでいた。しかし、祖母に見つかってしまった。藤島は、保護観察所に出頭していなかったため、祖母に通報されれば執行猶予は取り消されると考えた。そのため、祖母の殺害を決意し、1986年3月6日、山梨県内の祖母の自宅で、同人の両手足を縛り、浴槽内の水中に沈め、同人をショック死させた。さらに、帰ってきた内妻を脅して連れ出し、キャバレーホステスをやっていた内妻の客の会社員から金を脅し取ろうと、会社員を新潟県内のラブホテルに呼び出した。そして、会社員に祖母殺害を喋ってしまった以上口封じをするしかないと考え、同月11日、内妻と共謀し、会社員をラブホテルの浴槽に沈めて殺害した。そして、死体をホテルのベッドの下に遺棄した。1987年7月6日、藤島に死刑判決、内妻に懲役5年が言い渡された。1995年6月8日、最高裁で藤島の死刑は確定した。未だに死刑は執行されていない。この事件も、地元紙を除いてさほど報道されなかった。
・関東四国連続殺人事件
1991年3月、宮下政宏(26歳)は、神奈川県の叔母宅で叔母を絞殺し、死体を床下に埋め、金を奪った強盗殺人事件の容疑者として逮捕された。そして、宮下は逮捕されてから、時間をかけて、その犯行の全容を告白した。
第一の事件は、1984年11月に、香川県でポルノショップ店員の接客態度に腹を立て、数日後の夜、そのポルノショップに客を装って訪れ、店員を刺殺して、ついでに金を奪った、という事件だった。第二の事件は、1988年3月、徳島県で舎弟分の組員を、人間関係のもつれから絞殺し、死体を山中に埋めた、という事件。第三の事件は、東京で行なわれた。自分になついていた年下の同僚を、借金返済を免れるため、金を奪うため、そして、鬱陶しく思っていたことから、1989年6月に絞殺した。死体はポリバケツに入れて数日間自宅に放置し、普通に生活していた。数日後、死体を遺棄した。宮下は、1994年1月27日、横浜地裁で死刑判決を受けた。控訴審から、第一の事件及び第二の事件を否認し始めた。しかし、2000年9月8日、死刑は確定した。この事件は、新聞では殆ど全く報道されなかった。しかし、週刊誌では割と大きく報道された。
・連続リンチ殺人事件
かなり有名なので説明不要と思うが、1994年、少年グループによって大阪、愛知、岐阜で4人が殺害された事件である。事件は発生時、割と大きく報道されたが、今ほどには報道されなかった。今は少年事件というだけで注目が集まり、成人による事件以上に非難が浴びせかけられるが、この頃はまだそうではなかったという事だろう。事件は、管区第3号事件に指定されたが、広域指定はされなかった。
・オウム真理教事件
これも説明不要だろう。三大重大事件だけでも、神奈川、長野、東京で起こっている。何故か広域指定されていない。報道に関しては、言うまでもないだろう。なお、95年に広域指定123号事件が指定されて以来、マブチ事件が広域指定124号事件に指定されるまで、広域指定は10年間絶えていた。
・大阪・大分連続強盗殺傷事件
2001年12月26日、大阪府のホテルで、風俗店の女性が殺害され、キャッシュカードが奪われた。翌年1月18日、大分県に住む夫婦宅に数名の男が押し入り、夫を殺害し妻に重傷を負わせた。この夫は、日中友好に尽くし、中国人留学生の面倒をよく見ていた。後に、中国人留学生の19歳の少年が逮捕された。少年は、両事件への関与を認め、また、少年の供述から、留学生朴哲(21歳)、張越(26歳)他2名の留学生の存在が浮上した。大阪、大分両事件に関与していたのは、朴哲、少年の2名で、大阪事件は朴主犯、大分事件は張主犯で行なわれたものであったらしい。朴、張の両名は現在も逃亡中である。両事件に関与した少年には死刑、一名には無期懲役、もう一名には懲役15年が求刑された。2005年4月15日、大分事件に関しては強盗致死と認定され、少年には無期懲役(大分事件において、被害者に大きな怪我を負わせていなかった)、ほか二名には、無期懲役と懲役14年の判決が下った。この事件は、恩を仇で返した、という事で、かなり大きく報道された。
・石川・大阪バラバラ殺人事件
中国人女性伊麗那は、2001年5月、大阪府の資産家、Kさんと結婚した。伊は、金が欲しかったのだ。そして、本物のKさんの姿は、同年10月から見えなくなった。今に至るまで、行方は杳として知れない。ただ、予測することは出来る。2002年5月、伊とKさんの住んでいたアパートから、Kさんの血痕が発見されたのだ。そして、2001年11月から12月までの間、新しいKさんが、大阪府の病院に入院した。しかし、結果は思わしくなかった。無論、医学的な意味ではない。伊にとっての話だ。伊は、Kさんの遺産を後腐れなく相続するために、世間的に認められるKさんの死を演出する必要があったのだから。2002年4月20日、大阪府で首を切られた老人の死体が発見された。それは、後に新しいKさんの死体と断定される。そして、またもや、新しいKさんが現れた。2002年1月、伊はその老人と、石川県に移り住む。そして、2月15日、その老人は死亡した。
伊は、3名の死に関与した疑いで、指名手配されている。しかし、行方は杳として知れない。この事件は、それなりに社会の耳目を集めた。
・長野愛知連続強盗殺人事件
2004年3月から9月にかけて、愛知、長野両県で、4名の男女が殺害された。犯人は西本正二郎(27歳)であり、強盗目的の犯行だった。2006年5月16日、長野地裁で死刑判決を受けた。同年10月に控訴審初公判が行なわれ、西本はもう一件の殺人を口にした。しかし、それは結局ガセだと判明した。この事件も、かなり大きく報道された。
結論
広域指定されるか否かは、事件の規模、事件がどれだけ耳目を集めたかによって決せられるというものでも無いらしい。
<参考文献>
喪家の狗・田雁、向軒
死刑の理由・井上薫
死刑囚最後の瞬間・大塚公子
年報死刑廃止
朝日新聞
中日新聞
信濃毎日新聞