200776

104−098

岡崎正尚

 

<死刑囚処遇と獄中訴訟>

(日本における処遇と、獄中訴訟)

・・日本の死刑囚の現状・・

・面会、文通は、原則として親族に限られる。手紙の発信は一日2通まで。

・弁護人との文通は可能だが、看守立会いの下。秘密の保持が不可能。

・差し入れも、弁護人、親族に限られる。

・治療を十分に受けられない。

ピアノ殺人事件の大浜松三死刑囚(現在79歳)は、精神障害が悪化しているようだが、現在も放置されている。因みに2007年現在、死刑確定から31年余りが経過している。

・月三回のビデオ鑑賞が出来る。

・監獄法の解釈次第で、いくらでも処遇をきつくすることが出来る。

・所有できる本の冊数など、所持品には限度がある。

・都合の悪いと判断した情報は、死刑囚の耳に入れようとしない。死刑に関する情報は黒塗りにされて抹消される場合がある。

・一日30分しか運動が許されない。

・訴訟記録は一般人どころか学者もなかなか見ることが出来ないが、死刑囚本人も時間的制限を設けられるケースがある。

・死刑囚は、希望すれば作業を行い、賞与金を得ることが出来る。

・恩赦は40年前から適用されたことは無い。

・確定から6ヶ月以内の執行、となっているが、それは守られていない。

・死刑執行は、本人にも告げられず、いきなり行なわれる。

・マスコミには、死刑執行の事実のみが知らされる。

 

・・アメリカの死刑・・

・自由に面会、電話、手紙のやり取りが出来る。マスコミと会う事も出来る。

・死刑執行はあらかじめ告知されている。

・死刑執行は、TVなどで報道されることもある。最後の晩餐、最後の言葉まで公開される。

・態度が良ければ、TVまで買うことが出来る。

 

事例1・日本のチェスマン

・・事件・・

1951年神戸にて、孫斗八は自分を好意的に扱ってくれた古着屋夫婦を金槌で滅多打ちにして殺害し、多額の金品を奪った。犯行後すぐに逮捕されたが、奪った金の殆どを使い果たしていた。

・・獄中・・

 孫は、捜査時には全て自白したが、公判では殺人を否認した。しかし、一審では死刑判決を下された。控訴審でも別人が犯人であると主張。しかし、控訴棄却となった。上告審では、被害者夫婦の理不尽な振る舞いが原因で殺人に至った、と主張を転換した。

 しかし、孫を有名にしたのは、往生際の悪さではなく、獄中訴訟である。孫が提訴した行政訴訟は十指に余るが、有名なのは、二回も死刑執行停止命令を勝ち取り、自ら処刑場の実況見分を行ったことだ。このときは、ロープの張り具合などを確かめ、刑務間を死刑囚に見立てた。

もう一つは、昭和29年10月、通信の差し止めや抹消、検閲、新聞の購読禁止などの処分無効を求めて大阪地裁に「文書図画閲読禁止処分に対する不服」を提訴。大阪地裁は昭和33年8月に孫の訴えを全面的に認める判断を下して孫の勝訴となった。

 孫は、得意の絶頂にいた。一般死刑囚と比べ所有できる本の冊数は大幅に増加し、訴訟記録も好きなだけ閲覧できた。刑務官達は孫の言動を恐れ、孫に従っている状態だった。その当時の所長は、善良な人だったためか、孫に良くしてあげていたらしい。また、獄中結婚した女性に対し、ありもしない遺産を相続させるため遺言書を作りもした。「死刑囚による社会と刑罰を改良する会」というものも作ろうとした。死刑廃止を広く訴え、救援資金を募り、それを被害者への弁済と自分たちの小遣いにしようではないか、という案だった。孫はこの案を、全国の死刑囚に知らせた。しかしこの案は、死刑囚からさえ「何を考えている」と反発を招いたらしい。「趣旨には賛成だが、社会の人から金を集めて、我々の小遣いにしようというのは少し虫が良すぎやしないか。僕はやっぱり賛成しかねる」と返信した死刑囚が居たらしい。また、孫の態度は死刑囚に対しても大きかったらしく、死刑囚との文通は、彼らが処刑されたこともあって、長くは続かなかった。

 しかし、孫の特権は、所長が代わるとその殆どが奪われた。通信も大幅に制限された。そして、1963年717日、孫は死刑を執行された。「だまし討ちにするのか!」といいながら、絞首台まで引き摺られていったという。

 

事例2・益永利明

連続企業爆破事件で8名の死者を出した益永被告は、死刑が確定した。

・・獄中・・

・獄中で縁組した養母の10歳の孫娘との面会を不許可とされ、提訴した。91年7月、最高裁は賠償を認めなかったものの、益永に軍配を上げた。

・拘置所が「戦後の思想空間」という本の購入を認めなかったことについて、益永は提訴した。2003年2月7日、東京地裁は、東京拘置所所長の判断には誤りがある、として、賠償(5万円)を認めた。一律に所持品を制限する省令についても、「長期未決拘禁者や死刑囚と、そうでない既決囚との差に着目していない」と言及した。

・情報公開請求を行なっている。内容は、東京拘置所や法務省の死刑囚処遇に関する内部文書、アムネスティに関する文書などである。

 

事例3・山口益生

・・事件・・

 山口益生被告、新田定重被告は元暴力団員の男性(当時43)3人とともに19943月、岐阜県加茂郡の古美術商宅に押し入り現金100万円などを奪った。しかし暴力団員の男性が威圧的な態度をとったことから殺害を計画。仲間1人と共謀して4月、四日市市内の山口被告のマンションで男性の首をアイスピックで刺したうえ、現金400万円を奪って絞殺した。19953月末、四日市市にある古美術商の男性(当時50)を同様の方法で殺害、現金約430万円を奪った。遺体はともに丸山ダムに捨てた。

・・獄中・・

200689日の記事である。

名古屋拘置所在監中の山口益生確定死刑囚が上告期間中に郵送を受けた訴訟関連資料集の中で死刑の執行方法に触れた部分を拘置所が削除したことに対して、名古屋地方裁判所(清水研一裁判官)は、8日、違法の判断を示し、国に5万円の損害賠償を命令。

 

<参考文献>

www.jca.apc.org/stop-shikei/epamph/dpinjapan.html - 18k

www.geocities.jp/hyouhakudanna/climb.html - 6k

超闘死刑囚列伝・丸山友岐子・1993年・社会思想社

東京拘置所死刑囚物語・澤地和夫・2006年3月・彩流社