2007年6月8日
104−098
岡崎正尚
<日本の「甘〜い」刑罰と、刑罰の「厳しい」世界の現実>
(よく見かける意見)
・日本の刑罰は甘い
・無期懲役は10年、下手すれば7,8年
・他の国のように絶対終身刑を作るべき
・一人殺しても7,8年
↓本当か?
(日本に関して)
・2005年度の出獄無期懲役囚の平均服役年数は、27年2ヶ月である。因みに、平均服役年数は2000年以降徐々に上昇中である。また、2002年1月8日の朝日新聞報道によれば、検察庁は、無期懲役囚の仮釈放について通達を出している。「動機や結果が死刑に準ずるぐらい悪質」と認定された囚人については仮釈放を認めないマル特無期にするよう、という通達である。
・出獄人数は減っており、2005年は10人だった。90年〜94年にかけては、104人が釈放されている。因みに、ここ数年、無期懲役は年100人ほど生み出されている。
・現在最も長期にわたり服役している無期懲役囚は、58年2ヶ月服役している。恐らくは、下記の事件の犯人と思われる。
昭和22年(1947).12.18・夫婦殺害事件
鹿児島県鹿児島市の雑貨商宅で、無職(満17歳)が押し入り、主人(41)、妻(33)の頭を斧で殴って殺害、長女(5)に重傷を負わせ、3千4百円と衣類などを強奪、証拠隠滅のため放火して屋久島に逃走したが逮捕された。
横浜市の関東学院中等部2年生のときに窃盗で中退、軍属となったが1ヶ月で逃走して窃盗や強盗で満15歳の時の昭和20年7.17に軍法会議にかけられ昭和22年11.23に刑務所を仮出所、見習い工になったが働くのが嫌いで退職し、暖かいだろうという理由で鹿児島に来たがおもしろくないので帰る金を盗ろうとしたもの。裁判長に「働いて旅費を稼ごうとは考えなかったのか」と問われて「働くのは嫌だ」「殺しても悪いと思わぬ」と答える。昭和23年11.29に福岡高裁は死刑判決を出しが、少年法改正に伴い昭和24年4.6に恩赦で無期に減刑された。(少年犯罪データベースより)
因みに、この囚人と思われる男は、別の本に寄れば生活費に困窮して強盗に押し入った、との事である。また、入獄中に、30代の頃に精神障害となり、2000年の時点では、医療刑務所に居る。そこでは、「事件は徳川家康と天皇から西郷隆盛の首を討てといわれてやった」などと妄想を述べている。日常生活は可能なようである。生活は安定している。
・2000年時点、40年以上服役している無期受刑者は、17名中9名が医療刑務所に居る。
・日本の刑務所では、厳正独居房という制度がある。具体的に言えば、昼夜囚人を一人で拘禁し、室内で誰にも会わせず仕事をやらせる事である。運動入浴を除き、同じ場所で正座か安座をしていなければならない。背を伸ばしただけで懲罰となる可能性もある。
・此処最近、人一人殺して死刑となった事例も確認されている。
・日本は40年間恩赦が行なわれていない。アメリカでは頻繁に行なわれている。
(外国はどうか?)
・死刑も終身刑もおいていない国は、しばしば認められる。例えば、スペイン最高40年、ブラジル最高30年、ポルトガル最高30年、ノルウェー最高21年、エクアドル最高16年である。
・フランスでは、終身刑平均服役年数が27年になったと騒がれている。
・絶対終身刑を置いている国は少ない。置いていても、恩赦や減刑の可能性がある。
<参考文献>
www-cc.gakushuin.ac.jp/~e930032/detect-data/2003/20030428/theme4.html
kangaeru.s59.xrea.com
d.hatena.ne.jp/youhei2007/20070309
www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/murder.htm
司法精神医学研究・2001年6月・新興医学・林幸司
事例・日本の懲役7,8年レベル殺人
事例1
被害者は被告人と同棲していたが、被告人やその息子(16歳)に暴力を振るい、ついには被告人の娘に性的虐待を加えるようになった。娘から其の事を打ち明けられた被告人は、被害者を問い詰めたが、被害者は、被告人や娘がいう事を聞かないのが悪いと開き直り、被告人とその娘に同時に口淫を強いた上、娘に性的虐待を行なう意思を明らかにした。
被告人は被害者が怖かったために警察に告げることが出来ず、息子と相談し、被害者を殺害することに決めた。睡眠薬を飲ませ、刺し殺すことにした。しかし、実行できなかった。その後、娘は性的虐待されていた事が発覚し、児童福祉支援施設に入れられた。被告人と長男は、被害者により強い暴力を振るわれると恐怖し、殺害を同日夜実行することにした。睡眠薬を飲ませて絞め殺し、死体を空き地に遺棄した。
・ 被害者遺族は、厳罰を求めている。
・慰謝の措置は取られていない
・被告人は、殺人をして申し訳ない、遺族にも申し訳ない、と述べている。
被告人は懲役7年、被告人の息子は懲役2年6ヶ月〜3年六ヶ月となった。(平成17年3月と5月判決)
事例2
被告人は、かつての妻の不倫相手から、家族に対し継続されて嫌がらせを受けており、それはエスカレートした。警察に臨場してもらったこともあった。被告人は、同人を痛めつけてやめさせるしかないと考えた。被害者宅において、未必の故意(死ぬかもしれないという考え)を持って、被害者を撲り、殺害した。
・公判では殺意を否認(殺意認められる)
・被告人は精神的に被害者によって追い詰められていた。
懲役8年と成った。求刑10年。平成18年12月判決。
事例3
東近江市で昨年12月、介護が必要な母親を絞殺したとして殺人罪に問われた、同市垣見町、自営業、A被告(54)の判決公判が5日、大津地裁であった。長井秀典裁判長は「強固な殺害意志に基づく非情な犯行」とする一方、「犯行直前まで長年にわたり献身的な介護を尽くした」として、A被告に懲役7年(求刑・同10年)を言い渡した。
判決によると、A被告は昨年12月27日、自宅1階の寝室で、同居中の母親(当時81歳)が着ていたフリースのえりを両手でつかんで首を絞めて窒息死させた。
弁護側はこれまでに減刑を求める300通以上の嘆願書が届いていることなどを挙げ、執行猶予を求めていたが、長井裁判長は「借金整理や介護の分担を家族に相談するなどの手だてをとらずに殺害を決意しており、身勝手で短絡的な犯行との非難を免れない」として退けた。
外国の殺人、量刑事例
(イギリス)
・連続強姦殺人
ジョン・ダフィーは、85年と86年に起こった2件の強姦殺人で有罪とされ、最低30年服役の終身刑となった。
・女子学生殺害事件
英国で語学研修中の韓国人女子学生を殺害したモロッコ系英国人被告(32)が31日、無期懲役宣告を受けた。被告は02年7月、英国の休養地ボンマスの住宅街でシン・ジョンオックさん(当時26歳)を暴行しようとしたが、抵抗されたため凶器で殺害した疑いで起訴されていた。 判決まで2年以上かかったが、これは直接証拠が見つからないため陪審員が有罪か否かを容易に決定できなかったためだ。 陪審員は「被告が韓国人女性を殺害したと叫んで回るのを聞いた」と証言する売春婦の話が有罪の証拠として認められるかをめぐって議論した。 警察は、証言が具体的で状況が一致する点から、被告を逮捕し、身柄を検察に引き渡した。 しかし弁護団は「売春婦が麻薬中毒者であり、その証言だけを証拠として有罪宣告はできない」という主張し続けた。裁判所は最近、陪審員団を新たに構成して有罪評決を得た。 この評決により、ウィンチェスター裁判所は最短20年以上を服役する条件で無期懲役を宣告した。
(メキシコ)
1963年、天使牧場という売春宿の経営者であるゴンザレス姉妹は、自分の80人の売春婦を殺害し、11名の男性客を殺害したとして、逮捕。懲役40年と成った。
(エクアドル)
・連続幼女殺人事件
故国のコロンビアで9歳の少女を強姦殺人した容疑で逮捕されたダニエル・カマルゴ・バルボサは、86年に脱獄し、エクアドルに潜り込んだ。そして、88年6月、エクアドルにおける少女1名に対する殺人で逮捕された。そして、71名に対する殺人を自白した。どれだけ立件されたかは不明だが、バルボサは16年の懲役を受けた。
(イタリア)
・ルードヴィッヒ事件
ナチスの残党を標榜する、ルードヴィッヒと名乗る犯人は、77年から80年代にかけて、聖職者や売春婦を撲殺し、ゲイのウェイターを刺殺するなどした。ヴォルフガング・アベル、マリオ・ファーランという若い二人組みが逮捕され、27件の殺人の内10件の殺人で有罪とされた。そして、懲役30年が宣告された。二人は、90年代に、開放拘禁となり、定期的な出頭以外は殆ど自由な状態となっている。
(ドイツ)
・赤軍派テロ事件
70年代から80年代にかけ、経済界の要人9名を殺害したブリギッテ・モーンハウプトは、終身刑判決を受けていたが、最低服役年数である24年が2007年で満了するため、2007年3月に釈放されることになった。
・痴情のもつれ殺人
ジェンス・A被告は、資産家の繊維業者の息子を殺した罪に問われ、懲役11年の刑が下された。被告は2004年10月に、友人のアンドレア・サシャ・グリム氏と女性をめぐって口論後、頭を撃ちぬいたことを認めた。
(ハンガリー)
・アメリカ人中尉殺害事件
ブダペストで行われたNATO後援の訓練中に米国人中尉を殺害したとして、13日、ブダペスト地方裁判所は、アゼルバイジャン陸軍中尉の被告(29)に対し終身刑の判決を下した。
被告は睡眠中の米軍中尉(当時26歳)を「計画的に悪意を持ち、異常なほど残酷に」斧によって殺害、米国人中尉は首をほぼ切り落とされた状態だった。判決によると被告に仮釈放の資格が認められるのは30年後。
(スペイン)
・列車爆破事件
スペイン史上最悪の191人の死者を出した列車同時爆破テロの初公判が、15日からスペインの首都・マドリードで始まった。検察は、主犯格に対して禁固4万年を求刑する方針。この事件は04年3月、マドリード市内の数か所で通勤列車に仕掛けられた爆弾が爆発し、191人が死亡、1824人がケガをしたもの。AFP=時事によると、29人の被告のうち首謀者とされる4人と実行犯とされる3人の計7人に対して、検察側がそれぞれ禁固約4万年を求刑する方針だという。しかし、スペインの国内法では禁固刑は最大40年までしか認められていない。判決は今年秋に出る見通し。
(フランス)
・薬物を使用した致死事件
10日、モン・ド・マルサンの裁判所で子供のテニスの対戦相手に薬物投与したとして被告(45)に懲役8年の判決が下された。退役軍人のヘリコプター教官である被告は2000年から2003年の間、無気力な状態にする強力な抗ストレス薬物を、息子と娘の対戦相手の水のボトルに入れたとして有罪となった。薬を投与されたうちの1人は事故死した。
・政治家殺害事件
ヤンヌ・ピア国民議会議員殺人を審理していたヴァール重罪院は、6月16日、実行犯のリュシアン・フェリ被告 (26)、首謀者のジェラール・フィナル被告 (53) に無期懲役の判決を下し、政界の黒幕説を否定した。しかし、フェリ被告自身が裁判中に殺害したことを認めつつ政界の重要人物が絡んでいると発言しているなど、まだまだ解明していない点が残った。
・人種差別殺人
1995年1月21日、極右の国民戦線党 FN の選挙ポスターを貼っていた3人が、通りがかりの若者たちに発砲してコモリ諸島出身のフランス人、イブラヒム・アリ (当時17歳) を殺害した事件を審理していたブッシュ・デュ・ローヌ重罪院は、6月22日、この殺人が人種差別的な犯罪であることを認め、ロベール・ラジエ被告(66) に懲役15年、マリオ・ダンブロジオ被告 (44) に10年、ピーエル・ジグリオ被告 (38) に懲役2年の判決を下した。
・監視局員二重殺人事件
ドルドーニュ県で農業を営んでいたクロード・デュヴィオーは、2004年9月2日、季節労働者の雇用契約を調べに来た労働監視局員の二人を猟銃で射殺。その直後自殺未遂。3月5日からドルドーニュ県の重罪院で裁判が行われていたが、3月9日、デュヴィオーに懲役30年の判決が下る。裁判初日は、危険の多い労働条件を訴えて労働監視局員が裁判所前でデモを繰り広げた。
・少女焼殺事件
ヴァル・ド・マルヌ重罪院は4月8日、17歳の少女を生きたまま焼き殺したジャマル・デラール被告(22)に25年の懲役刑を言い渡した。共犯のトニー・ロッカ被告(23)は禁固5年。デラール被告は、2002年10月にヴィトリー・シュル・セーヌの公団住宅のごみ置き場で、いさかいのあった恋人、ソアーヌ・バンジアンヌさんにガソリンをかけ、火をつけて焼死させた。裁判では、「事故」を主張する被告側と、ガソリンを前もって購入するなど計画的犯行であるとする検察側の言い分が真っ向から対立。陪審団は検察側の主張を支持する評決を下した。
・人種差別殺人
94/7/13日夜11区のサン・マルタン運河岸で寝ていたマリ人(42)をロックコンサート帰りの青年5人が「黒人だから」と面白半分に運河につき落とし溺死させた事件で、 11/28日パリ重罪院は 3人に実刑12年の判決。
(セルビア)
・元大統領殺人事件
2003年に起こったセルビアのゾラン・ジンジッチ(Zoran Djindjic)元首相暗殺事件に関する裁判で23日、首謀者と殺害を実行した狙撃犯の2人に対し、求刑の懲役35年を上回る同国の最高刑である懲役40年の判決が下された。 ジンジッチ暗殺事件では、「レッド・ベレー」として知られるセルビアの警察特殊部隊の元隊員らが関与した疑いで起訴されていた。 ベオグラードの裁判所は、元隊員ら13人を有罪とし、中でも元指揮官で立案者とされるMilorad Ulemek被告(39、通称「Legija」)と、狙撃の実行犯である同部隊の元メンバーZvezdan Jovanovic被告(40、通称「The Snake」)の2人に懲役40年の判決を下した。 故ジンジッチ氏は、2003年3月12日、セルビアの首都ベオグラードの首相執務室にいたところを射殺された。ジンジッチ氏は故スロボダン・ミロシェヴィッチ元大統領の失脚後、初のセルビア首相で親欧米派だった。
(カナダ)
・11人女性強姦殺人事件
1980年代にBC州で11人の少年少女を暴行殺害、終身刑判決を受けたクリフォード・オルソン服役囚(66)は満期の25年間服役して仮釈放申請をした。これに対し7月18日、服役中のケベック州モントリオール郊外の刑務所で行われた仮釈放審査会で、「仮釈放を認めない」との結論に達した。審査会の結論では、「オルソン服役囚は、性的異常者で自己陶酔者であり、釈放すればまた殺人を犯す」と判断している。この男は、死体一体につき1万ドルを要求した。
・女性連続殺人事件
7月初めに出所するカーラ・ホモルカは、司法当局との取り引きで元夫のポール・ベルナルドの終身刑を決定する有力証言をすることと引き換えに懲役12年に減刑されてケベック州ジョリエットの女性刑務所で服役している。それが刑期満了で出所することになったのだが、事件があった地元オンタリオ州セントキャサリンズをはじめカナダ全国で「刑が寛大すぎる」とまゆをひそめる人も多い。
それもそのはず、直接被害者を殺してはいなかったというものの、元夫のレイプ殺人の現場をビデオに撮るなど事件に手を貸した罪は重い。またカーラの実妹が薬物を飲まされ何度も犯されたあと、元夫に殺された事件にも平然たる態度を示し、当時世間を震え上がらせたものだ。
「自意識が強く周りの人に対して異常なまでに冷淡な態度をとれる人物。あのような残酷卑劣な事件に関与できる精神状態には、生涯にわたるカウンセリングが必要」と、長年この事件に携わってきた調査員も今回の措置に不服だ。
カナダの平均釈放年数は実刑の3分の2。国内刑務所に服役中の囚人のうちおよそ80%はドラッグかアルコール依存症であるにもかかわらず、完全に回復、更生しないまま出所するため、再犯率は47%にのぼる。矯正施設などの受け皿不足で仮釈放に移行、そして再犯という悪循環が長年繰り返されているのが現状だ。
人権尊重を重んじるのも分かるが、彼らが刑務所で受けている待遇は一般社会が想像する以上に「豪華」であるのはご存じだろうか。驚くことに、ベジタリアンを主張するものには肉以外のメニューを作ることもあるし、健康のためにとビタミン剤やプロテインを要求してくる者もいるという。刑が比較的軽い者は獄中で働いた給料の中から6ドルのみ払えば、部屋に専用のテレビケーブルもひいてもらえ、インターネットアクセスもある。また、危険人物を他の州に移動するのに一度に2万ドルかかるプライベートジェット機を使用することもある。というわけで年間に、服役囚の刑務所暮らしにかかる費用はひとり分で6万6000ドルを超す。今回取りざたされた問題のもうひとつは、カーラが数年前から付き合っている恋人の存在だ。このフランス人男性ジェルベもまた服役中。彼とは身柄移動中に短期間滞在したケベック州の刑務所内図書館で連絡先を交換するなどして恋仲になったという。彼女の獄中部屋から彼の下着が数枚と裸で写った写真も見つかった。いまだその精神異常さは明らかではないか。「ジェルベは第2のポール・ベルナルドだ」と嘆いたのは、彼に殺された娘のポスターを法廷前で手にした父親のカレッタさん。ジェルベは外国人であることから出所後はいずれ強制出国となる身にあるのだが、その前に恋仲でしかも類似した性的異常癖を持つ二人が合流すれば、また残酷な事件が起きる可能性は高いと思われる。仮釈放後、セントキャサリンズで病床にある父親を訪ねた後、モントリオールのアパートで暮らしたいという彼女だが、周辺住民は簡単に「ようこそ」と手を広げるわけにはいかないだろう。それにしても刑務所内で服役中の者が男女として知り合える機会があるのもおかしくはないか。「緩い」カナダの刑務所体質は否定できない。
・幼女殺害事件
03年10月、トロント市ノースヨークで起きたセシリア・ザングちゃん(当時9歳)誘拐・殺害事件の裁判で中国人留学生、ミン・チェン被告(23歳。上海出身)の量刑公判が、5月12日、オンタリオ州裁ブランプトン法廷で行われた。チェン被告は5月9日、第2級殺人で有罪を認めている。
ブルース・ダーノ判事が、チェン被告に向かって終身刑(15年間仮釈放申請の可能性なし)判決を言い渡した。判事が判決を宣告したとき、チェン被告の表情にはほとんど変化が見られなかったと伝えられている。
チェン被告の弁護人、ジョン・ローゼン弁護士は、「セシリアちゃん殺害には計画性がなかったと主張したが、判事に受け入れられなかったのに失望した」と述べた。控訴するかどうかについては、「判決を十分検討してから決める」と語った。
第2級殺人で有罪の場合、最長25年間仮釈放申請の可能性なしの判決を受ける場合もある。
(ブラジル)
・静岡ひき逃げ事件
静岡県で99年に高校生・落合真弓さん(当時16)がひき逃げされ死亡した事件で、国外逃亡した日系ブラジル人に対し、日本政府からの代理処罰の求めを受けた初めての裁判が6日、ブラジル・サンパウロで始まった。
日本政府の要請に応じてブラジル政府が初めて代理処罰を適用して起訴されたヒガキ・ミルトン・ノボル被告は、押し寄せた報道陣に囲まれながら、やや緊張した面持ちでサンパウロ州の裁判所に出頭した。
ヒガキ被告は裁判で、衝突事故を起こしてその場から逃げたことを認めた上で、その理由について「日本の警察にどう扱われるか不安で、差別されるのが怖かった」と述べた。
裁判は今後1年以上続くとみられ、有罪となっても、禁固4年以下であれば、社会奉仕活動などで済まされる可能性が高いといわれている。
遺族が求め続けてきた代理処罰の裁判はようやく始まったが、ブラジルでの刑は軽く、国外逃亡犯の減少につながるかは疑問の余地が残されている。
・静岡強盗殺人事件
静岡県浜松市のレストラン経営者殺人事件で、日本政府の代理処罰(国外犯処罰)要請を受け、強盗殺人罪などで起訴された日系ブラジル人、アルバレンガ・ウンベルト・ジョゼ・ハジメ被告(35)の初公判が1日朝(日本時間同日夜)、ブラジル南東部ベロオリゾンテのミナスジェライス州裁判所で開かれた。同被告は「レストランへ行って食事をしたが、そのまま帰った」と話し、起訴事実を全面否認した。
起訴状によると、アルバレンガ被告は05年11月、浜松市内のレストランで経営者の三上要さん(当時57歳)の首を絞めるなどして殺害し、売上金約4万1200円を奪い、ブラジルに逃亡した。
アルバレンガ被告の弁護側が同裁判所に提出した書面によると、同被告は「事件は帰国後に知った」と主張していた。
担当検事は裁判について「今年中に決着すると思う」との見通しを示している。有罪の場合、ブラジルの刑法では最高30年の禁固刑が科せられるが、服役態度が良好であれば刑期の半分程度で出所する場合もある。
ブラジルは憲法で自国民の他国への引き渡しを禁じており、日本とは犯罪容疑者の引き渡し条約も締結していない。日本政府は昨年12月にブラジル法に基づく代理処罰を要請。アルバレンガ被告が居住していたミナスジェライス州の検察庁は2月16日に起訴し、身柄を拘束した。日本政府の代理処罰要請でのブラジル人起訴は浜松市での女子高生ひき逃げ事件についで2件目。
ジョン・ダフィー
ウォルフガング・アベルとマリオ・ファーラン
クリフォード・オルソン
ポール・バーナードとカーラ・ホモルカ
最近における、人を死に至らしめた前科のない、死者一名の死刑判決事件
事例1・関東拳銃強盗殺傷事件
熊谷徳久(64歳)は、強盗目的で2004年5月29日、横浜の中華料理店経営者を射殺。現金40万円を奪う。そして、2004年6月23日には、渋谷駅駅員を強盗目的で殺そうと銃撃し、死に至らしめるにいたらず、右足の麻痺などの後遺症を残す重傷を負わせるに留まった。同年5月6日には、東京駅キヨスクで金が見つからなかったために腹いせと知人へのメッセージのために駅に放火。5月23日には、かつて働いていた警備会社に強盗に入ったが、何も奪えず逃走。キオスク強盗はかねてから考えていた。
その後、もう逮捕されると覚悟し、NHKに電話を入れ、出頭することを、報道させるために伝え、警視庁に渋谷事件で自首した。
被告人は、公判では、それなりに反省していると取れないことはないものの、右翼思想に毒された自己顕示の言動が目立った。2006年4月16日には、死刑求刑に対し、東京地裁で無期の判決が下る。しかし、高裁においては横浜事件での自首が否定されたらしく、2007年4月25日に死刑判決が下った。上告中。
事例2・小林薫事件
誰でも知っていると思うので略す。
事例3・女子短大生焼殺事件
建設作業員服部純也被告は2002年1月22日午後11時5分ごろ、静岡県三島市の国道136号沿いで、アルバイト先から自転車で帰宅途中の女子短大生(当時19)を見かけ、誘いの声をかけたが、断られたため自分のワゴン車に押し込み強姦。同23日午前2時半ごろまでの間、三島市などを車で連れ回して逮捕・監禁したうえ、同市川原ケ谷の市道で、短大生に灯油をかけてライターで火をつけ、焼死させた。服部被告と短大生に面識はなかった。
遺体が見つかった2日後の1月25日、同県函南町で無免許運転で乗用車をUターンさせた際、対向車と衝突し、2人にけがを負わせた上、逃亡。2月28日に逮捕され、業務上過失傷害などで懲役1年6月の実刑判決を受けており、本事件の逮捕・監禁容疑で逮捕された7月23日には、収監中だった。
2004年1月15日、静岡地裁沼津支部で下された一審判決は無期だった。しかし、2005年3月29日の控訴審で死刑となる。現在上告中。
事例4・女子高生誘拐殺人事件
2002年7月19日午後、無職坂本正人被告は、終業式を終えて群馬県大胡町内の路上を帰宅途中だった女子高生(当時16)に道を尋ねるふりをして無理やり乗用車に乗せ連れ去り、約5キロ離れた同県宮城村の山林で首を手で絞めたあと、さらにカーステレオのコードで絞めて殺した。殺害後の同日夜から翌日昼ごろまでの間、数回にわたり、女子高生の携帯電話を使い、「50万円を用意しろ。娘がどうなってもいいのか」などと自宅に脅迫電話をかけ、同県内の路上で身代金として23万円を受け取った。犯行の動機については、児童相談所にいる別れた妻や子に会うため、職員に面会を強要する手段として女子高生を人質に取ろうとした、などと説明した。前妻らは坂本被告から家庭内暴力を受けたため、保護されていた。
他に前橋市の民家で約10万円を奪った強盗罪などにも問われた。
2003年10月9日、死刑求刑に対し、前橋地裁で一審無期判決を受ける。しかし、東京高裁では、2004年10月29日、死刑判決を受けた。上告せずに死刑は確定した。