2007年5月18日
104-098
岡崎正尚
・テーマを求めるマスコミ
事件・龍野六人殺し
(事件発生)
大正15年5月17日夜、この事件は起こった。
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被害者は、高見常(58歳)、常の長男である高見基夫の遺児、高見朝子(12歳)、その妹の高見洵子(8歳)、常の次男である次夫の長女、高見晴子(5歳)、長男の高見基一郎(4歳)、次女の高見妙子(2歳)の6名であった。
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犯行は、あまりにも残忍だった。常はわき腹に包丁を突き立てられ、喉は鑿で突かれ、前頭部に五寸釘を五本打ち込まれ、事切れていた。その横では晴子が出刃包丁で殺害され、基一郎は紐で絞殺、洵子、朝子は出刃包丁でメッタ突きにされ、頭部に五寸釘を打ち込まれていた。そして、縁側では、次男の妻菊枝(28歳)が、妙子の死体を背負い、首を吊っていた。妙子と菊枝は、晴れ着を着用しており、また、菊枝は、以下のような遺書を残しており、菊枝がこの犯行を行い、自殺したとも思われた。
次夫様、下津屋両親様、皆々様
私は母を殺しました私も死にます基一郎や妙子は立派に育ててください先立つ不孝は不仕合なものと思い許してください私のものはとくに(実妹)にやってください不幸な姉を持つ事を諦めて下さい
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事件の発覚は、高見次男(35歳)が死体を発見し、隣人宅に駆けつけたことである。次男は、事件時は醸造所で寝ており、犯行に気付かなかったと述べた。また、神戸又新日報に、以下のようなコメントを寄せている。
「何分事件勃発当時、すぐこちらに呼ばれたため、事件については何も知らず(略)いうべき言葉も知りません、しかし世間を騒がせた責は私ども高見家の者が負わなければなりません」
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事件の舞台となった高見家は、醤油製造業として財を成した商家であった。常は、強欲で冷酷で嫁の菊枝を苛め通しであり、評判が悪かった。
次夫は、中学を落第し、退学している。高慢で吝嗇という評判であり、仕事には精を出さず、放蕩に明け暮れていたらしい。悪評も多かった。また、次夫の叔母は、次夫は女中を手篭めにするという話がある、と供述している。
菊枝は評判が良かった。あの人だから今まであの家で辛抱が出来た、という声が多かった。
(波紋)
新聞は、菊枝に対し、同情的な記事を連載した。
神戸又新日報連載
1回・(略)武家の型にはめられ商家に嫁ぐ。硬い外殻に燃ゆる心は
2回・狭い町に広がる噂(略)
3回・幻滅の悲哀から憤怒へ(略)
4回・陰鬱な家庭の空気(略)菊枝には大きな失望が
5回・泣く妻を庇うには(略)あまりにも弱い夫一匹
5月23日の5回目で、連載は中断されている。
大阪毎日新聞連載
1回・(略)あれほど愛した嫁を憎みだしやがて端の上下にも当たり散らす
2回・(略)しかし虐待に悩む菊枝は「死んでも家出せぬ」と誓った
3回・嫁入箪笥の戸棚に天理さまを祭って菊枝は毎日泣き伏した(略)
4回・(略)信頼できぬ夫の無気力憎悪の心はついに復讐へ
5回・彼女は始めて大いに笑った・復讐の刃を研ぐ心は安心立命の悟道
6回・恐ろしいもの「不孝な偶然」・絶対に是認できぬ彼女の行いに悪魔の凄い哄笑
菊枝は、夫の次夫に冷遇され、姑の常に苛められていた。また、父は、いったん嫁いだからには帰ってきてはならない、姑や夫に尽くせ、と言うばかりだった。
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つまりは、嫁姑、家族制度の問題として、この事件は扱われた。社会問題として市井の刑事事件が注目を集めたのは、これが初めてだったかも知れない。
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毎日は、以下のようなコメントを載せている。
識者のコメント
家族制度の犠牲者(小酒井不木)「旧式な道徳ならびに日本の伝統的家族制度によって起こされた人生の大悲劇だという事はどうしても見逃す事の出来ぬ所です」
武士的教養の災い(小田やす子)「実父のいわゆる武士的教養の災い(略)強い煩悶に苦しんでいる妻に対して何故その夫たる人が同情しなかったのであろうか」
追い詰められた弱い女の最後の強さ(武者小路実篤)「この凶行は世の姑たちに対して一種の教訓にはなり得ると思う」
また、毎日は、女学生達に意見を求めてもいる。以下は、女性達の意見である。
わかき女学生の見た六人殺しの悲劇・・・・家族制度の弊害の暴露だ、老い先短い姑辛抱が肝心、安らかに眠って欲しい(被害者全員に対し)、耐え忍ぶのが嫁としての美徳、復讐としては損なやり方だ、彼女にもう少し思慮が欲しい、夫の無自覚と同情すべき彼女、結婚をしたら老人と別居せよ、子供までも殺したのは悪い、実に痛快だ彼女(菊枝)は偉い、世の姑たちよこせこせ言うな
わかき女性の見た六人殺しの悲劇・・・・血痕を恐れる姑のある家へは嫁がぬ、私なら出家同居は当然のこと、全てが弱い自覚が必要だ、ある点は是認弱き者の強さ、人の悪しきは我が悪しきなり、爆発した忍従呪わしい金銭
また、女学生達が毎日に送付した感想文は535らしいが、内容は
菊枝の犯行全部是認・・・・15
常殺しは是認し、子供殺しはいけない、五寸釘は打たなくても良い・・・・470
次夫を罵倒し、責任の大半は次夫にあったというもの・・・・512
常を憎み、責任を一切負うべき・・・・513
太蔵(次夫の父、常の夫)に同情・・・・1
次夫に同情・・・・2
姑に同情・・・なし
家族制度、社会制度の欠陥を呪う・・・・50
菊枝に同情できない・・・・7
実父母(菊枝の?)に同情するもの・・・・5
実父母(菊枝の?)の頑固を責めるもの・・・・20
新聞を読まぬもの・・・・20
となっていたらしい。
しかし、この後、驚愕の事実が明らかになった
(真相)
5月24日大阪毎日新聞の見出しを以下引用する
龍野六人殺しは
果然!次夫の単独凶行
尊属殺人及び自殺教唆罪で起訴
菊枝は一切手を下さぬ
つまりは、高見次夫が、6人を殺害し、妻の菊枝を自殺に追いやったという事である。
新聞は、このことについて、早くからある程度予測していたようにも思える。事件を、毎日と比較して社会問題化していなかった神戸又新日報は、次夫の関与を早くから仄めかしていた。
大阪毎日新聞は、連載の終わりに付記として「なお22日次夫が警察に留置されて菊枝との共犯関係の有無を調べられているが、いづれに決定しても、この悲劇を醸成したもろもろの環境は少しも変わりないのである」と、言い訳がましくも思える文を書いている。
叔母は、犯行の時間帯に、次夫が菊枝をなだめている事、基一郎が次夫に質問をしていたことを、聞いていた。また、麹室は、暑苦しくて寝ていられる場所ではなかった。
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次夫は、公判では犯行を一切否認したが、取調べ時には、犯行を一部認めた自白をしていた。取調べのたびに供述を変えていた。
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次夫は、昭和2年5月17日、神戸地裁で死刑判決を受けた。8月19日、控訴審でも死刑判決を受け、大審院で死刑が確定し、執行された。
<参考文献>
大阪毎日新聞
神戸又新日報
三十九件の真相・小泉輝三朗・読売新聞社・昭和45年3月