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岡崎正尚

 

・犯罪者の処遇

江戸時代においては、犯罪者の社会復帰は、あまり考えられてこなかった。

 

身体刑・鼻耳そぎ

江戸時代の初期においては、キリシタンに対し、顔に焼印を押され、手の指を切断する刑が施行されていた。他宗を罵った日蓮宗の僧侶に対して行なわれたこともあるという。

指切り、耳鼻削ぎ、という刑罰は、普通の犯罪にも用いられた。寛文〜天和にかけて確認されている。しかし、幕府は、宝永6年に、耳鼻そぎを廃止した。ただ、享保三年に、密輸に対して復活させた。

 

身体刑・入れ墨

入れ墨は、主に窃盗犯に対して行なわれた。享保5年には、鼻耳を削ぐ咎のものより一等軽い者に対しては、腕に廻輪の幅三分ほどの二筋の入れ墨をするように定められた。入れ墨の跡が治ってから出牢させる事と決められていた。また、藩によって入れ墨を彫る場所は違い、多くは顔に対して彫られた。入れ墨の場所、その形によって、何処で入れ墨がされたものか、すぐに解る様になっていたのである。御構いの地に戻った者に対しては、前刑よりも一等重く処罰され、安永六年からは、その者に入れ墨に処された前科がある場合は、その地に立ち返るたびに、何度でも一筋ずつ入れ墨を増やされることが決められた。

 

身体刑は、他にも、剃髪刑や、箒尻で肩から尻にかけて叩く敲が行なわれていた。敲は、耳鼻削ぎにかわって導入された刑罰である。

 

《参考文献》

「江戸の刑罰」・石井良助著、1964年、中公新書