死体と犯罪

2006年5月12日

104−098

岡崎正尚

 

・薬としての死体

現在において、死体は、たいていの人にとっては、文字通り亡骸にすぎない。しかし、過去において、死体はそれ以外の役割も担っていた。かつて、死体は、薬としての価値を持っていたのである。例えば、人肝は、梅毒や肺病、切り傷によく効く薬として、珍重されていた。そして、それがために犯罪を惹起する事もしばしばあった。今昔物語には、妊婦の腹から胎児を引きずり出して、その胎盤を薬として用いた、という話が掲載されている。実話か否かはともかく、このような話が載っているという事は、胎児の胎盤が薬として効能がある、という事が一般的に信じられていた証拠であろう。江戸時代の切り役人の家系、山田浅右衛門は、死刑執行された死刑囚の人肝を家に持ち帰り、薬として売りさばいていたという。しかし、明治三年に、政府により、人肝、陰茎、頭蓋骨などの人体の一部を薬として売買する事は禁じられ、表のルートで流通する事はなくなった。また、明治14年7月27日、強盗目的で一家四人を殺害した岩尾竹次郎、川口国蔵の二人を市ヶ谷監獄で処刑したのを最後に、斬首刑も禁止され、山田家が代々引き継いできた首切り役人としての仕事も終わりを告げた(ただ、この死刑執行から数年後、青森県で夫殺しの女性に斬首刑が執行された、という話もある)。しかし、少なくとも明治20年代までは、山田家には人肝のストックは残っており、それを使って商売をしていたらしい。山田家に人肝の買い付けに訪れた薬屋も居た、ということだ。このように、政府が禁止したからといって、生胆信仰は無くなる事も無く、生き胆の売買ルートは地下に潜る事になったと思われる。それを証明するかのように、明治期においても、人肝や人体の一部を狙った犯罪が頻発していた。

 

参考文献

・大江戸死体考 氏家幹人著

・明治東京犯罪暦 山下恒夫著

・今昔物語