2006年4月21日

犯行隠蔽としての死体損壊

 

104−098

岡崎正尚

 

殺害後に、被害者の死体が損壊される事件は、明治以前よりあった。しかし、それは迷信的な意味、あるいは、生き胆取りなどが原因であり、犯行の隠蔽を目的としたものではなかったと思われる。つまり、この事件までの死体損壊は、死体に対し、呪術的な意味、心理的な意味での尊厳を認めた損壊行為であった。しかし、明治29年12月13日に、愛知県西導寺で行なわれた惨劇は、犯行の隠蔽という合理的目的の達成の為に、死体を物として扱った。この事件は、死体に対する認識の変化を象徴する事件だった。その事件の下手人の職業は、皮肉にも、骸に宗教的意味を見出すべき職業である、僧侶だった。そしてまた、この事件は、犯行隠蔽を目的とした死体損壊の事例の嚆矢であっただけではなく、日本におけるバラバラ殺人事件の嚆矢でもあった。

下手人は、黒田水精という西導寺の住職と、その妻である華尾という女だった。二人は、従弟である伊藤鉄三郎を殺害し、財産を横領しようと考えた。鉄三郎を毒殺するために、クロラール、エーテル、クロロホルムを、同村の医師である八津太郎名義の依頼書を以って、12月1日に購入した。12月13日にクルルホルムを酒に混ぜ、鉄三郎を毒殺しようとしたが未遂に終わり、二人で鉄三郎を絞殺した。その後、二人は、鉄三郎の死体をばらばらにし、西導寺の池中に埋めた。水精と華尾は、名古屋地方裁判所、名古屋控訴院、大審院で共に死刑判決を受け、死刑を執行された。なお、八津太郎も共犯の嫌疑をかけられ裁判を受けることになったが、無罪となった。

 

参考文献

大江戸死体考

徳川明治大正昭和著名裁判録