犯罪者プロファイリング 第3回
アメリカでは・・・
1960年から80年までに、犯罪発生率が3倍に増加した。
1956年「ニューヨークの爆弾魔」事件で、精神科医ジェームズ・ブラッセル博士が犯人の特徴を言い当てたことによって、精神分析から犯人像を推定する手法の有用性が証明された。
1960年代の終わりには、未知の犯人像について捜査機関から、精神科医たちが意見を求められるようになった。
1970年代の後半、FBIアカデミーの行動科学課(現在は凶悪犯罪分析センター内の行動分析課)によって、行動科学を応用したプロファイリングの研究が始まった。
1984年に、凶悪犯罪分析センターが設置され、現在もプロファイリングによる捜査支援、研究、教育に関する責務を担っている。
イギリスでは・・・
1960年から80年までに、暴力犯罪の発生率が5倍になった。
1975年から80年に起きた「ヨークシャー・リッパー事件」が教訓となり、捜査手順の標準化、捜査本部のコンピューター化、捜査官の訓練、サポートチームの任命、法科学の有効活用等が重視されるようになった。
※「ヨークシャー・リッパー事件」260,000人の洗い出し、11,500件の職務質問、27,000戸への聞き込み、31,000回の事情聴取が行なわれ、5,000,000時間と4,000,000ポンドが捜査に費やされ、捜査資料は24トンになった。
1980年代後半、サリー大学のデビット・カンター教授(現在はリバプール大学の教授)はFBIの手法に対する批判から、統計的プロファイリングという独自のシステムを開発した。
1995年に国立警察活動支援部(National Crime and Operations Faculty;NCOF)が創設され、上級捜査官に対する教養、支援、助言を行っている。
他にもカナダ、ドイツ、オランダなどの国々には、専門の組織が設置されている。
日本では・・・
1988年から89年にかけて、首都圏で宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件が発生。この事件を契機にFBIやリバプールで行われているプロファイリングに関する情報を収集し始めた。
1995年から99年までの5ヵ年計画で、警察庁の科学警察研究所において、プロファイリング研究が開始された。
1999年にプロファイリングの試験運用が始まった。
2001年に正式な分析の依頼の受理が始まった。
2000年以降は、「行動科学を応用した性犯罪手口システムの開発」として、2003年まで研究が継続された。
2003年4月には、犯罪行動科学部と法科学第一心理研究室と防犯少年部環境研究室が合流して、犯罪行動科学部捜査支援研究室となった。
2004年から科学警察研究所の付属機関である法科学研修所において、各都道府県警察の犯罪者プロファイリング担当者に対する研修が始まった。
参考文献
渡辺昭一 (2005) 『犯罪者プロファイリング』、 角川書店