加害少年の親                                                  

 

神戸児童連続殺傷事件

神戸市須磨区で1997527日、小学6年生の男子の首が切断された遺体が見つかり、6月、神戸新聞社に「酒鬼薔薇聖斗」の名で犯行声明文が送られた。中学3年(14歳)だった男性が殺人・死体遺棄容疑で逮捕され、小学4年生女児の殺害など5件の犯行を認めた。神戸家裁は同年10月、男性を医療少年院に送致する保護処分を決定。043月、反社会的価値観や性的サディズムが改善されたとして、仮退院した。

 

少年Aの家族

 逮捕当日(628日)の家宅捜索が終了した夜、一家は長年住んでいた自宅を離れ、親戚縁者の家を転々とした。その間、両親と2人の弟たちは連日連夜、警察の事情聴取を受けA少年の事件前後の行動、言動を詳しく聴かれる。マスコミの攻勢からその姿を隠すため、両親は一時離婚。2人の弟は姓名を変え、兵庫県から遠く離れたある都市に親と離れて暮らした。父親は仕事を休まなければならず、子供らの学資貯金を取り崩して生活していた。

 

警察・検察

 630日から加害少年の両親、弟に対する本格的な事情聴取が始まる。少年Aの犯行当日の行動、学校での様子、非行歴、生育についての質問をうける。74日には検事も調書を取りに来るが、警察の調書の質問とほとんど同じだった。警察による事情聴取は724日まで続いた。他にも現場検証、検察庁での取調べがあった。

少年Aの状態については警察から語られることはなく、テレビのニュースで知ることがほとんどだった。

 

マスコミ

 逮捕後10日間は警察の家宅捜索に立ち会うため親戚の家から自宅へ通った。自宅はいつも報道陣に取り囲まれ家の電話は鳴りっぱなしだった。自宅から親戚の家へ帰るときも、マスコミに追いかけられた。その後親戚の家にもマスコミはやってきた。

 また警察署の周囲にマスコミが多いこともあって、両親が少年Aに初めて面会したのは918日だった。

 

弁護士と教育委員会

 75日、両親は初めて少年Aの弁護士に会った。弁護士は被害者にどのような謝罪をするかを相談したり、被害者家族への手紙を添削したりした。また教育委員会と連携して、弟達の転校先やストレスの軽減について話し合ったり、父親の会社に行き処置を相談したりもした。

 

家庭裁判所

 730日、家庭裁判所の調査官に会う。Aが社会復帰するため、正しく更生させるための調査だった。

 84日、家庭裁判所で少年Aの第1回目の審判が行われた。日程については数日前からテレビの報道で事前に漏れてしまっており、裁判所は、当日は大混乱が予想されたため両親は出頭しなかった。

 

参考文献

「少年A」の父母 (2001) 『「少年A」この子を生んで・・・・・・』、 文芸春秋

発行人 黒須仁  編集人 福田和郎 (2006) 『朝日キーワード 2006』、 朝日新聞社