ストーカー 第3回
ストーカーにならない人
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時間がたつうちにどうでもよくなってしまう
人は失恋したと分かると、その瞬間からかえって相手を思う気持ちが盛り上がる。相手のことを考え、思い出すと胸が苦しく、切なくて悲しく、時に絶望的な空しさを感じることもある。しかし、時間が経つにつれてそれらの思いは薄れていき、相手のことも忘れていってしまう。私たちはそれなりに忙しく、それなりに充実した日常生活をふつうに送っていれば、失恋の痛みなど、日常生活に役にたたないものはいつのまにか忘れてしまうのだ。
ストーカーには充実した学業や仕事もないし、それなりに自分に楽しみを与えてくれる家族や友人や趣味もないし、将来への希望もないのである。だから相手を忘れることができない。
A
相手ばかり責めないで、自分の欠点も認めてしまう
自分をふった相手を責めたり、憎んだりというのは誰もが持ちうる感情であろう。しかし、自分の欠点や非も認めて、相手ばかりを責めることをやめてしまう。自分の欠点や非を認めても、最初のうちこそがっくりするかもしれないが、実際には大して傷ついたり、強い自己嫌悪に陥ったりもしないで、何とか立ち直れる。
ストーカーは自分の非を認めることができない。自分の欠点や非を認めるということは、自分の強い劣等感をさらけだしてしまうことになり、深い自己嫌悪に陥り、それこそ立ち直れないような気がするからである。だからすべてを相手のせいにして、相手を責め続けなければならないのだ。
B
恥ずかしくてそこまでできない
ストーカーの話を聞くと「よくそんな恥ずかしいことができるなぁ」という感想を持つのが普通だろう。恥ずかしいという感情を持つことで、自分を律することができる。
しかし、ストーカーはあのハレンチきわまる行為を必死になって繰り返し、飽きもせずにやっている。
ここにストーカーの幼児性を見ることができる。彼らは自分の赤ん坊のような弱さ、無力さ、情けなさをあからさまに、時には誇らしげに、繰り返し見せる。この様子は親に駄々をこねる子どもと似ている。
C
すぐにばかばかしくなってしまう
普通の人は、ストーカー行為をして相手が怖がったところで、自分には何の得もないということは容易に計算できる。
ストーカーはばかばかしいことに喜びを見出してしまう。ストーカー行為のような退屈な行動でもあらゆる想像力を動員して、彼らの世界を作り上げ、その世界の中でゲームでもするように、それなりに楽しみ始めるので、ずっと続けることができる。
D
すぐにバレる嘘をつけない・自分の立場ばかり主張できない
あまりに不合理に思えることは、それがいくら自分のためになるとしても、主張するのにはどうしても気が引ける。それ以上に、いつまでも自分の立場ばかり主張したり、調べればすぐバレるような嘘をついたりしたら、周りの人の理解を得られるどころか、反対に嘘つきで自己中心的であるとみなされる。自分の立場が悪くなる一方だということを知っているため、簡単に嘘をついたり、自己主張ばかりをしたりできないのである。
E
相手にどこかで同情してしまう
好きな相手をとことん憎むということは、普通はできない。たとえ、自分をふった相手が憎いあまり、相手が嫌がるようなことをしたとしても、相手がノイローゼになるのではない、仕事ができなくなるのではと考えたら、その時点でどうしてもその人への同情心が起きて、復讐の手をゆるめてしまうだろう。
ストーカーは、自分はずっと傷つけられ、苦しんでいて、自分こそ被害者なのだという思いがあり、その思いから生じた、他人や社会に対する強烈な復讐心、恨みがあるため、手加減をしない。しかも、どれほど相手を苦しめていても、どこかで自分を許してくれて、またいつか自分を愛してくれるのではないか淡い期待を持っているのだ。
補足説明
ストーク(stalk)とは(動物などが)獲物を捕まえようとして忍び寄るもの、というのがもともとの意味でストーカー(stalker)は忍び寄るものという意味。
社会問題として騒がれるようになったのは1980年代のアメリカで、レーガン大統領のような政治家や多くの芸能人がファンに攻撃されることがあって、まずマスコミが注目し、stalkerという言葉を使い始めた。
1990年にはカリフォルニア州でストーカー規制法のような法律ができ、その後ほとんどすべての州で同様の法律ができる。それから約5年後に日本に紹介された。
2000年5月18日、ストーカー規制法が国会で成立する。
1999年10月26日に埼玉県の桶川で女子大生刺殺事件が起きる。女子大生をストーキングしていた男たちの主犯は風俗店を経営していた小松和夫という男であった。小松は、被害者の猪野詩織さんの殺害を別の男に依頼し、小松自身は逃避行の末、自殺した。
『ストーカーの心理』 著者 荒木創造 2001年 講談社