ストーカー 第2                                                                

 

女子学生を追う大学助教授

(関西方面の女子大で教育学を教えている。30代の始めに結婚したが半年で離婚。それ以降は独身で、両親と暮らしている。)

ストーカーの相手は助教授のゼミの学生で、ひとなつっこい色気のある女性。よく意味ありげな様子で助教授になにかと近付いてきたので、自分に気があるのかと思い、アパートの電話番号を聞きだした。

 数日後、電話をすると声が何かとてもセクシーで、なつかしい声に聞こえた。特に用もないので黙っていると、女性は電話を切った。1時間後また電話をした。その日のうちに5回、無言電話をかけた。無言電話を続けるうち、女性は、怒ったり、あざけったり、ただ無視して切ったりするようになる。そんな彼女のことを想像して、イマジネーション・ゲームでもしているように楽しんだ。女性が無言電話を怖がり始めた。

 授業の後の女性を尾行し、アパートを捜し出し郵便受けに、メモを置くようになり、メモの内容も次第に過激で卑猥なものになっていった。女性が怖がって恐怖におののいているのではないかと想像すると、それがまた助教授の想像力を刺激して、頭の中で想像の世界が広がり、興奮した。

 助教授は女性に付き合っている男性がいることを知る。サラリーマン風の男だった。助教授は激しい嫉妬と怒りを感じた。しかし、女性のアパートにその男性が来るようになり、無言電話をしても男性が出ることが多くなり、アパートの近くをうろつくのも危険に感じ、メモを置くこともしなくなった。

 

 助教授は2度目のストーキングをする。相手はやはりゼミの学生で、かわいらしくて、ちょっと色気があって、やさしそうな女性。

 前回と同じように、無言電話に始まり、メモをアパートに置いてくるようになった。女性に付き合っている男性がいることを知り、助教授は嫉妬と怒りで一杯になり復讐心まで起きてきたが、一方で、自分のストーカー行為がエスカレートすることに恐怖を感じた。

 

服役したコンピュータ技術者

(ストーキングのため、4ヶ月間刑務所に入っていた。29歳男性。愛知県在住)

 ストーカーの相手とは仕事を通じて知り合い、付き合い始める。お嬢さんらしい育ちのよさとか、今頃の若い女の子にはない地味っぽくて、しとやかなところが気に入った。

 彼は、その女性が男性と付き合ったことがないと思い込んでいたが、自分の前に2人の男性と付き合っていたと知り、自分がだまされ、裏切られたと思った。

 女性との付き合いに不満を感じるようになるが、それを口では言わなかった。黙っていることで不満があるということを示そうとしたが、女性が自分の不満を察してくれないと分かると暴力を振るうようになり、女性は逃げた。彼は反省し、しつこく食い下がり、説得し、よりを戻す。これを3度繰り返した。

 女性は彼の暴力は治らないと見切りをつけ、もう会わないと宣言する。

 彼は、彼女の会社に毎日何十回も電話をかけ、それでも会ってくれないと、彼女の会社に出かけて、玄関先で待っていたが、そのうち会社の中にまで入ってくるようになった。2回目に会社の中に入ったときに、警察官があらわれ、警察に連れて行かれた。この時は説教されただけで釈放された。

 次に彼は、家が燃えている絵と女性が車にはねられている絵を彼女のもとへ送った。怖くなった女性は警察や市の相談課の人に会ったところ、「会って、よく話し合うように」と言われたので彼と会うことになった。そこで彼は「300万円払えばやめてやる」と金を要求し、応じなければ、「絵のようなことになる」と脅した。

 その後、何度か話し合いの場が設けられたが、ついに彼が爆発し、彼女を、前歯が2本折れ、左目が一時失明状態になるほど激しく何度も殴ったのである。警察は彼を逮捕・起訴した。

 彼は当時のことを「頭の中では彼女を追い落としてやりたい、だめにしてやりたいと、そんなことばかり考えて、そのために毎日いろいろ画策を練っていた。しかし、一方で彼女とのよりを戻したいと思い、彼女のことが愛しくて、かわいそうで、彼女を苦しめている自分が憎くて仕方なかった。」と語った。

 また、逮捕された時、自分の仕事、家族、すべて失いかねないなと思ったが、一方でストーカー行為を続けなくてすむとホッとした気持ちもあったという。

 

女ストーカー

(38歳。有名女子大卒。結婚歴15年。小学校六年の男の子が一人いて、夫は電気関係の会社社長)

 ストーカーの相手は英会話学校の教師で、教室で知り合い、毎週1,2度会っていた。

しかし、教師の方が次第に女性と会いたがらなくなったので、女性は会ってくれとせがむようになった。その頃女性は、「先生は他に女ができたと」思い込み、2人の姿を想像するようになった。

その想像の合間に、教師の勤めている英語学校に電話をするが、なかなか会ってもらえず、1日に20回以上電話することもあった。それを4,5日続けると、教師は会ってくれるのだが、しばらくすると嫌がって会わなくなる。それが何回か続いた。女性は匿名で、学校の理事長宛に教師を中傷する内容の手紙を送るようになる。

この状態で女性と教師は1年以上会い続けた。教師が「あんたの旦那にすべてを話して終わりにしよう」というと、女性は「学校の理事長と先生の奥様にすべてをお話します」と返した。

女性は、「もうこの人を苦しめるのはやめよう」と思うときもあったのだが、2,3日すると教師に会いたくなり、同時に自分を捨てようとしている教師が憎くて仕方なく、許せない気持ちになった。

しかし、苦しんでいながらも、2人で脅しあっている時は、2人だけが分かり合えるゲームをやっているような、楽しみがあった。

教師が困って疲れているのを見て、もっと意地悪をしようと思い、「分かれるなら、お金を出して」と500万円を要求した。

その次に学校に電話した時には、教師は学校をやめていた。自宅に電話をしても、その番号は使われていなかった。

女性がその時最初に思ったのは「なぜ?」ということだった。女性にとっては半分ゲームであり、教師もそう思ってくれていると思い込んでいたからだ。

 

青春をストーカーとして生きた女・洋子(仮名)

 洋子が20歳の時にストーカーを始める。30代後半の妻子もちの会社の上司と付き合い、1度身体の関係を持つと、その翌日からその男を仕事中も追いかけ始め、男がひるむとストーカーになった。

 会社と男の家へ嫌がらせの電話をし、得意先へ男性器の絵をかいた手紙をばらまき、男をつけ、待ち伏せし、男の奥さんを電話で脅し、包丁を持って追いかけ、朝まで男の家の前で男を待ってみたり、郵便受けに火をつけたり、と3ヶ月間ほどあらゆるストーカー行為をしたあげく、ガス栓をひねって自殺をはかった。

 

一命をとりとめた洋子は2年後、再びストーカー行為を起こす。相手は彼女が勤めていた会社に出入りする男だった。40代後半の、やはり妻子持ちだった。身体の関係を持ちストーカーになってしまったところなど、前のストーキングとやったことはほとんど同じだったが、男が怖くなって引越しした。

 洋子は市内で男の車をみると、タクシーで追いかけてみたり、古い住所に来た郵便物を勝手に開けて、中に書かれている住所をたどって追跡してみたりした。男の新しい住所を突き止めると、毎日そのマンションの中のエレベーターに乗って、男と鉢合わせになる機会を待った。

 しかし、ある日突然、洋子の家に無言電話やいたずら電話が入り始め、郵便受けは荒らされ、ドアにペンキで「死ね」とかかれたり、下着を盗まれたりした。

 執拗な嫌がらせは男の奥さんの仕業ではないかと思った洋子は、奥さん宛に「もうストーカーみたいなことはしませんから、許してください」と手紙を書いたところ、嫌がらせは終わった。

 

洋子は三度ストーカー行為を起こす。相手はやはり仕事上の関係で知り合った、小さな会社を経営しているという男だった。やはり妻子持ちの男だったが、もう年齢は60を過ぎていた。

 洋子はこの男と1ヶ月ほど暮らしたことがあった。男が耐えられなくなったのか、妻の元へ逃げ帰ろうとすると、ストーキングが始まった。男の会社や自宅にさまざまな攻撃がしかけられたのはこれまでのストーキングと同じだった。

 ところが男が癌で入院してしまった。それからは、会社でも、男の家庭でも、嫌がらせなど誰も怖がらなくなり、ストーキングは自然消滅した。

 

洋子は小学校5年生のときから万引きするようになるなり、それとほとんど同じ頃から自慰行為を始めたそうだ。両方とも一般には、愛情に恵まれない欲求不満の子どもがやることだと言われている。また洋子の父親は仕事の関係で家にいないことが多かった。慢性的な愛情飢餓になっていた可能性も高く、ストーカーの相手がいずれも年上というのは、父親を求めていたと考えられる。

 

『ストーカーの心理』   著者 荒木創造   2001年   講談社