『心を商品化する社会』                                                                                 

 

「心のケア」の疑問

 企業では、賃金制度が成果主義に切り替わり、2000年頃からカウンセラーの外注企業が急増している。高まる会社員たちのストレスを解消し、仕事の生産性を上げようと心の健康管理に力を入れているのだ。しかし、成果主義、競争で仲間すら作らせない、あるいは仲間という関係さえ壊しておきながら外のカウンセラーに相談することにどれほどの意味があるのか。

2001年に大阪池田小学校で起きた児童殺傷事件の際に、「心の専門家」たちが教師とともに全ての家庭を回り、学校再開の延期の意見を申し入れて学校運営を支配した。しかし、教師と子供たちとの教育関係、子供同士の自然な助け合いの関係が健全な学校生活を作るのであり、見知らぬカウンセラーにそれらの関係を一時的に断ち切られては人間のつながりを弱めるのではないか。

最近では「心のケア」にたずさわる福祉や医療領域の人々の疲れた心をケアする「心のケアのケア」ということばさえ聞かれるようになった。そんな回り道ではなく、過重労働にならないために人手を増やし、お互いに会話や相談しあえる休憩時間を多くするなど、普通の考え方ができないものだろうか。

五十代の友人が足を痛めて車椅子生活になったのだが、彼女はこう語っていた。「善意の友人たちがついに『心のケア』を言い始めたの。でも私に必要なのは、足の痛みを和らげる工夫と車椅子を押してくれる手助けであって、『心のケア』ではないのよ」

 

「心の専門家」の資格

1969年の日本臨床心理学会第5回総会で、資格認定業務がストップ。1982年に日本心理臨床学会が発足し、日本臨床心理士会を作り、心理臨床家の資格発行に向けて活動する。1990年に厚生省が、心理士の国家資格認定業務の開始にあたり、資格作り反対派の日本臨床心理学会に対し、資格制度検討会に協力しないかとの申し入れがあった。大きな議論の後、認定業務への協力に賛成する立場が多数となり、資格作りに反対派は脱会して、1993年、日本社会臨床学会を作った。

そして現在も、国家資格を医療分野に限定し、医師のもとで業務を行うとする「全国保健・医療・福祉心理職能協会」と、国家資格を医療現場に限定せず、教育、産業、福祉領域なども含め、医師の指示は不要だと主張する「日本臨床心理士会」の対立が見られる。

 

 ある大きな犯罪をおかした少年がカウンセリングに通っていたことが報道された。そのときTV画面に登場していたある臨床心理士は「難度の高いケースですから」とカウンセリングがうまく機能しなかった理由を説明していた。

 このように治療場面で起った問題やトラブルなど不都合なことは、相手の「難しさ」に帰結させる。世間も専門性や資格の権威のもとにそれを納得してしまう。

 被治療者が治療場面で、もし治療者に抗議すれば、不利な解釈を持ち出されたり、重い人格障害などの診断名をあてがわれたりしかねない。そのような場合、被治療者は二重に傷つけられ、その苦しみは計り知れない。一方で専門家は、「難度の高さ」を説明する解釈仮説や理論を手にしている。 

 

参考文献

『心を商品化する社会』  小沢牧子・中島浩壽  2004年  洋泉社