ミッキーマウス

ミッキーマウスMickey Mouse)は、ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスが生み出した、世界で最も有名なアニメキャラクター

元々、ウォルト・ディズニーが最初に製作したアニメ「幸せウサギのオズワルド」の版権を奪われたため、代わりに考案されたキャラクターである。ディズニーは飼いならしたネズミをよく研究し、1927年にミッキーマウスを考案した。

192811月18アニメーション映画蒸気船ウィリー」で初登場。当時はウォルト・ディズニー本人が声優を務めていた。その後、映画はシリーズ化され、ミッキーは人気となる。だが、それ以前に2作品に登場し、この2本はファンの間で「幻のデビュー作」と呼ばれている。

ウォルト・ディズニーは元々ミッキーをモーティマーと名付けるつもりだったが、妻リリーの一声で現在の名前になった。その代わりにミッキーの恋のライバルであり、ミニーマウスの幼なじみとして、モーティマーマウスが登場する。

恋人はミニーマウス。愛犬はプルート。あまり知られていないが、甥っ子にモーティーフェルディーがいる。

ミッキーマウスのデザインについて

多くのスタッフ作画にかかわるアニメーション作品において、円滑に、かつ素早く作画する目的で、円定規楕円定規で簡単に描けるようにデザインされたと言われている。

 

ミッキーマウス保護法

アメリカには、「ミッキーマウス保護法」と揶揄される、著作権に関する法律があるアメリカ合衆国で、ミッキーマウスなどディズニー作品の著作権を有するウォルト・ディズニー・カンパニーは、当初の有効期間を既に過ぎているにもかかわらず、未だに著作権を持っている。ディズニー社が議員への強い働きかけをしていて、有効期限寸前に「有効期限を延長させる法律」(ソニー・ボノ著作権期間延長法)を成立させているとされている。現在では、有効期間は95年となっている(個人作品は70年)。この件について、一部から憲法違反であるという意見が出たが、裁判所の判断によって違憲ではないとされ、未だにディズニー作品はその著作権を失わずにいる。

 

ソニー・ボノ著作権期間延長法

 

ワシントン発米連邦最高裁判所は15(米国時間)、音楽や出版物、マンガのキャラクターなどによる利益を保護する著作権について、有効期間を延長することは違憲ではないとの判断を示した。米ウォルト・ディズニー社をはじめ、こういった著作権を所有する企業にとっては大きな勝利だ。
 最高裁が下した今回の判決は予想できるものだったが、昔の書籍やミッキーマウスの画像といった古い著作物を、高い使用料を払わずにオンラインで配信したいと考えていたウェブ出版業者にとっては厳しい結果となった。
 著作権保護期間の20年間延長を米国議会が認めたのは1998年。多数の書籍、映画、楽曲の著作権が切れ、パブリック・ドメイン(社会の共有財産)に加えられようとする直前のことだった。
 そして今回、最高裁の裁判官たちは72の多数決により、故ソニー・ボノ下院議員(共和党、カリフォルニア州選出)の名を冠したこの著作権期間延長法は違憲ではないとの判断を下した。
 合衆国憲法では「議会が著作権保護の『期限』を規定する余地を大幅に認め、また議会があらゆる著作権者の権利について、現在も将来も同じレベル、同じ期限でそれが保護されると保証することを許可している」と、最高裁のルース・バーダー・ギンズバーグ裁判官は法廷で述べた。
 仮に逆の判決が下っていたなら、ディズニー社や米AOLタイムワーナー社などの巨大エンターテインメント企業は巨額の利益を逃すことになっただろう。AOLタイムワーナー社は『カサブランカ』、『オズの魔法使』、『風と共に去りぬ』といった映画の著作権を失うことになると述べていた。
 同じくディズニー社も、最初期のアニメーション映画、たとえば1928年の『蒸気船ウィリー』などで描かれた古いバージョンのミッキーマウスの著作権を失う危険があった。
 今回、違憲性がないと判断された著作権期間延長法は、人気の高い著作物を所有する企業からの強い圧力を受けて議会が可決したものだ。

 

マウスの感度を示す単位はミッキーであり、1ミッキーは1/100インチマウスを動かすことを意味する。このとき画面上でカーソルが何ドット動いたかを、ミッキー/ドット比で指定することで、プログラム上のマウスの感度は実装される。命名者はマイクロソフトのプログラマーであったクリス・ピーターズであり、この単位名はミッキーマウスに由来する一種のジョークと思われる。彼はマイクロソフト社の105人目にあたる社員で、Windows上のマウスドライバなど根幹部分を開発した。その後マイクロソフト社のオフィス部門副社長などを務め、現在は米プロボウリング協会のチェアマンとなっている。

 

ノルマンディー上陸作戦(ノルマンディーじょうりくさくせん)は、第二次世界大戦中の19446月6に行われた連合軍の作戦。作戦の正式名称はオーバーロード(大君主)作戦Operation Overlord)。ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦であった。300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランスコタンタン半ノルマンディーに上陸した。史上最大の上陸作戦であり、作戦から60年が過ぎた現在でもこれを超える規模の上陸作戦は行われていない。

上陸作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空爆と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による揚陸が行われた。なお、上陸作戦に続くノルマンディー地方での戦いは二ヶ月以上続いた。

ノルマンディー上陸作戦は今日まで第二次世界大戦中の最もよく知られる戦いの一つとして数えられる。「D-デイ」は作戦決行日を表し、現在では作戦開始当日の194466日を意味する用語として使われる。

アブ・アイワークス

サイレント時代にウォルト・ディズニーと共にアニメーション・スタジオのラフ・オー・グラム社を設立。アイワークスはミッキー・マウスの本当の生みの親である。1931年になって独立。自らのスタジオで製作したのがコミカラー・カートゥーン・シリーズである。1940年になって元のディズニーの所へ復帰している。マット合成の技術により、アカデミー賞の科学・技術賞を2度受賞。ヒッチコックの「鳥」の特殊効果を担当した事はあまりにも有名。

 

幸せウサギのオズワルド

オズワルドの誕生

ミッキーマウスの生みの親“ウォルト・ディズニー”は、ミッキーマウスの前に、『幸せウサギのオズワルド』というキャラクターを生み出していました。このオズワルドは、長い耳を除くとまさにミッキーそのもの。19261928年にかけて公開された『幸せウサギのオズワルド短編シリーズ』は、ウォルト・ディズニーとそのスタッフ達によって大成功を収め、ウォルトの将来は明るいものと思われていました。
そんなウォルトでしたが、この後、このスター“オズワルド”の権利問題を巡ってとても悲しい思いをします。オズワルドはウォルトとそのスタッフ達が作り出したアニメーションにも関わらず、このシリーズに関するすべての権利を、作品の配給会社ユニバーサル・ピクチャーズとチャールズ・ミンツという人物に握られてしまうのです。
ウォルトはミンツから今後ミンツの下で働くように迫られますが、これ以上の屈辱を味わいたくなかったウォルトはきっぱりとこの要求を断り、仲間であった多くのスタッフ達を失って“独立”という道を選びます。こうしてウォルトはスターにまで育て上げたオズワルドを、泣く泣く手放したのでした。

 

 

USJで発見!オズワルド...

写真左・アトラクション『アニメ・セレブレーション』(ハリウッド・エリア)出口にあるフォトスポット
写真右・ショップ『ロデオドライブスーベニア』(ハリウッド・エリア)

 

参考:Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/

   HOT WIRED JAPANhttp://hotwired.goo.ne.jp/

   http://blog.livedoor.jp/mottopapichan779/archives/50171899.html

   http://www.69ners.com/

   Risuneyhttp://homepage3.nifty.com/risuney/

   ディズニースタンプコレクション:

http://www003.upp.so-net.ne.jp/apple/index.htm

   Yahoo!:http://www.yahoo.co.jp/