バブル経済崩壊後の内閣
バブル経済・・・株や土地などの資産価格が適正価格を大幅に上回る状況。
日本では「プラザ合意」のため急速な円高が進行し、1986年から1989年までの株や土地が高騰した経済のことを呼ぶ。
海部内閣(1989.08.10〜1991.11.05)
公定歩合 1990年8月 5.25%→6.00% 1991年7月6.0%→5.5%
1990年の初め、株価が大暴落。一時は4万円近い値をつけていた株価が10ヶ月で半値に。
翌年には地価の下落が始まり、土地神話が崩壊し、景気は一気に冷え込んでいった。
宮沢内閣(1991.11.05〜1993.08.09)
公定歩合 1991年11月・12月 5.5%→5.0%→4.5% 1992年4月・7月 4.5%→3.75%→3.25%
1993年2月 3.25%→2.5%
宮沢内閣は、10兆7000億円、13兆2000億円と二度にわたって戦後最大規模の景気対策を行う。
大半が公共事業につぎ込まれたが、従来型の景気刺激策では本格的な景気回復はみられなかった。
細川内閣(1993.08.09〜1994.04.28)『55年体制が崩壊』
公定歩合 1993年9月 2.5%→1.75%
円高は進み8月には株価が暴落。規制緩和、円高差益還元を含む6兆円の景気対策を実施。
所得・住民税減税の先行実施、公共投資の拡大などを柱とする15兆2000億円の景気対策を実施。
羽田内閣(1994.04.28〜1994.06.30)
村山内閣(1994.06.30〜1996.01.11)
公定歩合4月・9月 1.75%→1.00%→0.5%
コスモ信用組合、木更津信用組合、兵庫銀行が相次いで破綻。金融機関の「不倒神話」の崩壊。
総事業費14兆2200億円の景気対策を実施。住専処理問題。
橋本内閣(1996.01.11〜1998.07.30)
公定歩合 0.5% 公的資金枠 30兆円 経済政策16兆円
1996年6月 住専処理法が成立 10月金融再生法が成立
1997年4月 消費税率5%に引き上げ 日産生命保険が生保で戦後初めての破綻
9月 改正保健法 医療費の自己負担が2割に ヤオハンジャパン倒産
11月 三洋証券 北海道拓殖銀行が経営破綻 山一證券が自主廃業
仙台コ陽シティ銀行が破綻
企業倒産負債総額は前年比75.4% 増の14兆 209億円で過去最高
1998年4月 金融ビッグバンスタート
小渕内閣(1998.07.30〜2000.04.05)
公的資金枠60兆円や景気対策27兆円など総額107兆円、史上最大の経済政策
さらに18兆円の景気対策、ゼロ金利政策、大規模公共事業や住宅ローン減税
1998年10月 日本長期信用銀行が破綻 12月 日本債券信用銀行が破綻、一時国有化
企業倒産負債総額は14兆 3,812億円と戦後最悪
1999年の企業倒産は負債総額で13兆5,522億円と3年ぶりに減少
森内閣 (2000.04.05〜2001.04.26)
公定歩合 2001年1月・2月・3月 0.5%→0.35%→0.25%
経済政策に11兆円
緩やかながら景気の回復基調 デフレ不況突入
2000年の企業倒産は負債総額で23兆9,874億円と戦後最悪
参考資料・参考URL: 新保生二著
「日本経済失敗の本質」日本経済新聞社 2001年刊
NHK出版編 「データマップ日本 日本経済再生への処方箋」NHK出版 2002年刊
電通 消費者情報トレンドボックス広告経済関連データ 広告景気年表
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adkeizai/index.html
日本銀行 公定歩合の推移 http://www.boj.or.jp/stat/boj/discount.htm
帝国データバンク倒産情報 http://www.tdb.co.jp/tosan/jouhou.html